選挙・・・三題噺・・・脱・原発、消費税凍結、TPP反対

*必然的に長いブログになった・・・・

これを店頭に並べれば、選挙が戦える、選挙に勝てる・・・当選を果たせる。そのためには、昨日の敵も宿敵も・・・恩讐を超えて集まる・・・なんだか、涙が出てくるような話だが、その腹黒さに染まった涙だから、さぞかし「黒い涙」であろう。記者会見の表情の卑しさ・・・つまり、自ら選んだ政策集団・・・政党・・・の中での地位が軽くなり、あるいは危うくなり、その環境の中での自らの存在の影が薄く、セコハン色に染まってきたことへの焦りでもあるのだろう。そして、政策には無頓着な、愚衆的な支援者に支えられて、愚行に愚行を重ねているのだろう。選挙の度に、その数は減少するのだろうから、薄氷を踏む思いの選挙であることには違いない。

ところで「三題噺」・・・・
脱原発・・・
パネルがある、風車がある・・・だからと言って、何処にでも設置可能なものでもない。山肌を、あるいは、森林を伐採して「パネル」を置く心算なのだろうか・・・あるいは、筏に組んで海に浮かべる・・・と、言っている候補者もいるのだとか・・・その形は想像するには楽しいものだが、実用的か・・・との疑いには・・・やってみなきゃ分からん!・・・と。自家の電力は自ら確保しろ・・・との法整備も可能だろう。勿論、家屋改造も必要だろう・・・ものすごい需要が生れ、景気も良くなるとは思う。ヒットラーや毛択東の様な政治家(指導者的)や、その集団(ナチズム)が必要になることは確実である。何とか言う長い長い政党名の面々の表情からは、その空気は十分に伺える。そして、彼等の後ろだてになりそうな、元・都知事の姿もある。その元・都知事が「脱・原発」には疑問を呈しているのだから・・・茶番なのである。寧ろ、より安全な原発、あるいは事故時の対応精度の向上等を、何処までも極めて、必要ならば、原発も貴重なenergy源として考える・・・これくらいの良識は、持ち合せて欲しいものだと思う。新幹線だって、航空機だって、なんとなく安全に稼働しているのではない、況や神の加護を受けているものでもない。人間の長年の経験と、真摯な日々の研鑽・訓練の対応の中で、その安全を継続しているのである・・・原発に欠けていたのが、その姿勢だったのである。

②消費税凍結
まず、安い税金・・・なかんずく「低い税率」の税金は、、そのまま、金持ち優遇策なのである。稼ぎの少ない庶民、つつましい買物しかしない庶民・・・私も含めて、これらの人々の納める税金がどれ程のものか・・・むしろ、富豪、大金持ち、大財産家の納める税金が、相対的に低すぎる・・・つまり、彼等は、納めた・・・消費税も含めて・・・税金以上の、見帰りを得る立場に在り、systemに守られているのである。上に、億円の金を、御曹司がラスベガスでばらまくことも可能なのである。つまり、彼は、日本で稼いで、アメリカで、高額な税金を納めたことになるはずだが・・・mediaは、それを報じない・・・我々も、この矛盾に気が付くべきなのだ。
30%・・・これが、私の主張する消費税のlevel・・・そして、生鮮食品、学用品、教育関連商品などの無税化、あるは逓減税率・・・を議論すべきなのである。北欧では、直接税と合わせて、医療の無料化、教育費の無料化がおこなわれていると聞くが、我国では、如何なるsystem改造をすれば可能になるか・・・真剣に考えるべきだと、私は思う。その前提の「消費税UP」を、我々も真剣に考えるべきで、数千万円の選挙が、すんなりと可能な候補者に、安易に一票を投じるべきではないだろう。繰り返す・・・安い税金は、金持ち・富豪をますます富ませるだけである。・・・と。経済成長時代に働き盛りだった・・・つまりinflation時代の・・・時代を経験した人々の預貯金が「1,500兆円」なのである・・・つまり消費税がなかった時代・・・無駄使いが出来た時代・・・故にinflationだったし、貧しい人々の、税金の負担感は重かったはずである。

③TPP反対・・・
目的は、百姓・農業保護が目的である。昭和45年から、平成初年まで、新幹線沿線の変貌・・・その変貌の影に、如何に多額の国費が浪費されているか・・・ある時期・・・田圃の圃場整備が行われている・・・農業者個人の資金で行われているのではない・・・国費である。それから10年ほどすると、その整備された区画が、そのまま宅地に変貌する・・・道路が出来る。公園が出来る・・・恐らく、造成した宅地の価格をあげる為の施策であろう。そして、団地が生れ、スーパーが生れ、風景が一変する。加えて、豪華なマンションが次々と生れ・・・その陰で、商店街がシャッター街に変貌しているらしい。そして、シャッター街の所有者は、都内の高級マンションに悠々自適に過し、街の発展には、全くの無関心らしい・・・つまり、国家が手をだしてくれるのを待っているのである。

TPP参加反対論者これらの全てを、貿易自由化・関税引き下げ、関税撤廃の理由にする。果たしてそうか・・・百姓は、農業者は真面目に働いているのか・・・後継者がいない・・・その背後に、後継者の耐える農村文化、家族文化が存在し、それが、今日まで、尾をひいているのではないのか。農地拡大に反対する姿は、まさにその伝統の継承者であり、そこに存在した悲劇・・・農業衰退の悲劇でもあるのだが・・・に腰の引けた臆病者の姿である。農業は多分に伝統の知恵の中に存在するものである。しかし、その知恵が変貌し、進歩して、今日まで、増加した人口に対応してきた、つまり、その市場に存在してきたのであり、地球上の農業の歴史でもあり、文明でもあったのではないか。

己の周りに壁をめぐらし、世界から孤立して、一国の農業が存続できるのか・・・TPPとは、その流通の知恵の競争のrule化ではないのか。戦後、食料を求めてくる都会の人々を、その庭に土下座させて、僅か食料を派手な晴れ着と交換させて暴利をむさぼり・・・これ見よがしの派手な結婚式で己を誇った夢から、まだ醒めていないのだろう。
一時は、出稼ぎが騒がれた・・・しかし、父親の出稼ぎの影で、息子は数百万の乗用車を誇り、おそらく、父の農業を継承することはなかったのではないか・・・そこは、立派な団地になっていると言うから。一時、東京・銀座のクラブに、周辺農村の息子達が群がっていた・・・そして、「今日は一坪売ってきたので、豪華に遊ぼう・・・」などと叫んで、周辺を辟易させ、顰蹙を買っていた・・・まだまだ、そんな空気が残り、そこに「餌」を漁る政治家の姿があるのが悲しい・・・・。
昨日だったか・・・ウルグアイで、「コシヒカリ」を作付けしている男性の話題がTVにあった。世界を相手の米作りである。日本以外の国の外交官が、その「美味さ」に感激している表情が印象深かった。何時まで、弥生時代の米作りに拘っているのか・・・拘るなら、拘っただけの価値のある「米」、高価に売れる「米」作りをするべきであろう。二千年の停滞技術の犠牲に道連れになれるのは御免だ・・・と、そんな感想。

三点セットが、どこまで影響するのか、今、俄かに判断はできないが、選択を誤った時、そお時の責任は全て己のものだと・・・その覚悟で「一票」を投じよう・・・私の呼び掛けである。