日馬富士の思い込み

低く当れば有利・・・勝てるだろう。あるいは、必勝の条件・・・そんな思いが見えたのが、琴奨菊との一番・・・足が滑ったというが、あれだけ足を退いて、殆ど足が土俵に付いていない状態で、何処に「力」の支点を与えるのか・・・その後の取り組みの全てで、達合いが不十分になっていたと、私には見えた。結果的に、足が滑ったことが敗因にならなかった一番でも、達合いの不利を招いていたことは、ほぼ確実だろう・・・と、私は、相棒をとそんなことを感想とした。

時間前の最後のperformance・・・身体をぐーっと前に押し出す姿は、足が、土俵をしっかり咬んでいて効果のあるものだろう。相手は、その姿に、形に、低く出て来る日馬富士の警戒もし、低いが故に生れる欠陥を付いて出て来る・・・それが分からない日馬富士ではないだろうが、無意識の内に「低さに」拘る己の気持ちが制御出来ていないのだと、思う。琴欧州の様に、つ立った達合いも、相手に先手を取られる原因になるが、やはり、千手に多少は有利になる条件を与えながら、そこを突いてくる相手の戦術に一瞬乗りながら、己の体制に持って行くのが技術であり、力と云うものだろう。立ち合いから、勝負の最後まで、自分の有利に運ばなければ勝てないでは、そもそも横綱としての大成はないだろう。私達、私は、そんな日馬富士を望んだりはしない。やはり、勝って欲しいのである。

「勝つ」とは、全ての面で相手を圧倒することではない。相手の隙、油断を突くことばかりではない。相手に、相手の相撲を取らせながらも、相手の特意で在るが故に存在する相手の弱さを利用することも「技」であろう。

その意味で、今場所の白鵬に寄せられる評価・・・相手の盤付けに応じた相撲を取っている・・・一瞬危うげに見えても、そいも計算済み・・・時に失敗をする事があっても、それは相手の多面性の、未知の部分に遭遇した・・・力と力の対決に新しいものを学ぶことになる。翌日の勝負であり、次回の達合いのdataになるものでもあろう。相撲ファンは、それを期待するから、年間6場所に、チャンネルを合わせるのであり、場所に出掛けるのである。

来場所、心機一転、日馬富士がどんな相撲を見せてくれるか・・・楽しみでもあるが、来場所は、大関陣が更に強くなって出て来るだろう・・・小細工で勝とうとするのではなく、此処まで鍛えて来た力と技量で、正々堂々闘って欲しい。勝負は、相手が勝っても、お俺が負けたのではない・・・と、我々に思わせる一番を期待したい。