敬老会とお遊戯会のコラボ・・・紅白歌合戦

「紅白」・・・別名、NHK-紅白歌合戦・・・の凋落も、此処まで極まったか。嘗ての、格調はどこへ置き忘れたのか。全編を、歌謡や歌曲で編成しろと云うのではない。日頃、忙しい生活や商売の営業活動に過しているかた、或いは、昼も夜もない企業の営業マン・・・時に、classicな歌曲を聴く機会は、この年末・年始にしかない・・・そんな方の一人の為にも、一人の歌手を出演させて欲しい。「千の風にのって・・・」が、人々の気持ちを潤し、あるいは慰めたか・・・かつては、砂原美智子、立川澄人の歌声に、この大晦日だけは、心を洗われる思いで過した・・・そんな大晦日は、もう望めないのか。

視聴率・・・実は、若者に媚びている様で、高齢者は、TVから流れる「騒音」を聞き流しながら、終るのを、一年の区切りの時間と・・・待っているだけなのではないか。あるいは、敬老会好みの歌手が何人かいるので、幼稚園児の様な歌手の時に、トイレを済まし、敬老会・歌手の出番を楽しんでいるのかもしれない。しかし、跳ねたり踊ったり・・・優雅な日本は何処に失ってしまったのか・・・

また、ろくろく日本語も喋れない子供達・・・日本の教育から取り残された、あるいは排除された子供達の、つかの間の人生に、視聴者は付き合わされているのか・・・ダークダックス、ジュークエーセスなど、大人のchorusが聞かれなくなった「紅白」に落胆したのは、もう遠い日である。最近は、民放BSなどで、美しいハーモニーで、日本・歌謡を聴かせてくれる局・番組も姿を見せるようになった・・・そんな時代に、NHKだけが何故か、遅れた亨楽番組に固執する不思議さ・・・恐らく、モニター及びモニター制度の腐敗によるものだろう。

つまり、辛口モニターの採用から、甘言モニターへ・・・の傾向、これに歯止めが掛かっていないのだと、私は、skirtの短さがモニター会議の主題だった時代のモニター体験者として思う。つまり、その時代の風潮に逆らうがの如き、旧弊な批判を恐れなく可能な風潮が姿を消しているのではないか・・・日本・言論の全体にも言えることだが・・・・。

更に言えば、大学進学者が増える・・・高学歴高齢者が増えつつある現代・・・勿論、長寿社会だから、色々な時代の教養があり、知識が混在している現在ではあるが、だからといって、その高齢者が、無教養な、ただ享楽的な・・・そんなものを望んでいるのか、と、言えば、そうでもないだろう。小さな子供の、幼児の仕草は可愛い・・・しかし、それが、少年・青年の馬鹿馬鹿しい仕草で喜ばれるか・・・一見喜ばれているのは、目の前の少年、青年、時には成人に・・・その幼児性を感じて、半ば軽蔑的鑑賞をしているのである・・・時に教育評論家が、その幼児性で、時代の寵児になっている風景さえある。「既然」と云う言葉を、我々は忘れているのだと思う。

今年も、「紅白」を鑑賞することはないだろう・・・・余りに馬鹿げたsceneは家人が教えてくれる・・・世相として拝見はしても、楽しむことはないだろう。但し、視聴料を払っている事からは、怒りが生れる。