自動車の、心地よい騒音とは・・・・

電気自動車の、騒音の少なさが「事故」の原因としてclose−upされている。文明の皮肉である。街の中で、やったやたろ警笛を鳴らす事が禁じられたのは、昭和40年代の半ばだったろうか。時に、諍いから殺人事件に発展することもあり、また、警笛に驚いて、事故に遭遇する悲しい出来事が、日本中に溢れていたころである・・・・クルマは危ない・・・とは、現在の「原発」に匹敵するものであったのかも知れない。これも、マイカーが、中年層から若年層に普及する、その度合いに沿って増加したものである。

道も悪かったが、若年層(20代)の運転マナーの悪さは、今日の暴走族以上のものだった。文明とは、危険を伴って普及し、人間の資質の向上に準じて、真の文明になるものらしい。話がすこし逸れたが・・・格段の高級車を除けば、クルマの走行騒音や、始動時の騒音も相当なものだった。加えて、クラクションである・・・都市部、街中の「NoX」もさることながら、クルマの発する騒音が、大きな年問題になっていたのである。そこで、一先ず「規制・法」が制定され、今日に至る。つまり、クルマを静かにさせる・・・人々は、その事だけを考えてきたのである・・・特に日本人は・・・。

そこに、静かなクルマが登場した・・・電気自動車である。ところが、その静かさが「事故」を誘因することが叫ばれる様になった。Makerにしてみれば、騒がしいと言うから「静かに」にしたのに・・・人間の、なんと我儘なことよ・・・との一言も出ようというものだろう。

現在、騒がしくすることに苦労しなかったmakerが、静かになり過ぎたクルマに、騒音の機能を付加するべく「知恵」を絞っている。文明とはかくの如し・・・。
これが、仲々難物。まだ時間は要しそうである。バイオリンのある音、音階が、人間の耳に心地よい・・・と云うところまでは辿りついたらしい・・・しかし、その実用化までの道のりは遠いと言う。

脱原発」の思想から言えば、直ちに、「電気自動車の開発・製造」を止めよ!・・・と、云う事になるのだろうが、世界を視野に研究・製造を使命とするengineer達は、そんな声には耳を貸すことはないだろう。馬鹿を相手の時ではないのである!!!!

扇風機の「Fの風」・・・これに似た「音」の世界が在るのだろうな・・・そんな事を、私は思った。工夫のある所、必ず何かが生れる・・・・これは、特に日本人のethosである。「消えるボールペン」の製品到達までには、20年近くの、マニアックな研究者の試行錯誤があったらしい。そして、「消えるボールペン」が最終到達点ではなかったという。フランスの同系合弁企業が、実用化に走り、フランスの小学生に一挙に拡大・・・現在は、政界100カ国で、4億6,000本の、該ボールペンが愛用されておるのだと言う。「書くボールペン」から「消すボールペン」へ。
*何故フランスだったか・・・フランスが「万年筆」の文化の国であり、記述ミスの消去についての関心が高ったことがある。因みに日本は、「鉛筆」の文化の国であり、「消しゴム」の世界故に、その発端の栄誉からは外れた・・・しかし、「角消し」という、消しゴムの新しい機能を世界に知らしめた・・・つまり、「文」の文化的ethosの効用である。

かくの如く、「文明」は前に進ませるべきであり、その伝播はglobalなのである。「危険」だから、止めてしまえ・・・とは、危ない世界に生きるのは嫌だと・・・自殺するに等しい。福島原発事故で、我々は何を学んだのか・・・どんな事故だったのか・・・「考える」所から、明日は始まる。明後日の景色を妄想するより、昨日の足跡をとっくりと眺めよう。そして、考えよう!