トンネルの通風・・・を考える。

随分昔になるが・・・と、言っても40年ほどか・・・・世界の十大projectの話を聞いたことがある・・・TV中の話題だったのかも知れない。僅かに覚えているのは、地中海の海水をサハラ砂漠に落して発電する・・・何でも、地中海とサハラ砂漠の高低差は、数十メートルあるのだとか、その時に説明があった。砂漠に落下した海水は、蒸発するのだが、残る塩は風で吹き飛ぶのだとか・・・相当に乱暴な話だな・・・と、当時は思った記憶がある。しかし、石油危機が話題になっても、この話題が再燃したことを記憶しないから、可なり「眉つば」だったのだろう。

その中に、関門〜釜山間の、海底トンネルがあった。勿論、付随して、太平洋海底トンネルも・・・この時、「トンネル内の通気・換気」の問題の解決の方法がない・・・との話がcommentされていた。途中、対馬で中継しても無理なのだとも・・・その時、一人のゲストが、太平洋規模だと、真空のtubeの中を走らせればよい・・・と、発言した識者がいたが、それでも、energyから生じる「熱」の排除は必要なのだと聞いたと記憶する。

本トンネルに先だって掘削される「補助トンネル」を使って「通気・換気」をするtunnelもあるのだと思うが、規模が、一定量を超えると無理なのかもしれない。TBSの番組に出演していた「谷本親伯教授」も、現在の技術・設備が誕生するまでの、繋ぎの技術である様に説明していた・・・技術とは、そんなものだろう。その意味では、古いタイプの技術・設備を、更新することの難しさを思う。生産工場でもないではないが、製品要求から、costを掛けて更新を迫られることが多い・・・一寸見には「もったいない・・・」と、思いながら、まだ使えそうな設備・装置を轍屑にした記憶は多々ある。

通気・換気の難しさ・・・そんな技術に出会ったことのない人間には、殆ど理解できないことである。炭坑の坑道が、幾多の事故を誘発する経験は、炭坑の保全業務に携わったことのある人には、今回事故の難しさ・・・つまり、通気・換気に関わる設備の「在り方」であるが・・・を、思うのではないだろうか。また、順調に動いていれば、機能していれば、殆ど注意を惹かない設備・systemである。

事故が生じれば、誰でも記が付く。しかし、事故がなければ、道路の通行・機能に直接関わらない「機能・system」を論じることは、全くの無駄でしかない。「戦争がないのに、なぜ装備が必要か・・・」と、論じることにも結び付く問題なのである。浅知恵の芸人casterの一言、一言が、私には「感」に障る。先頃も、「おめーら、勉強が嫌いで、お笑い芸人になったんじゃねーのか・・・」と、TVに向って喋って、かみさんに叱られた。

この事故も、「金(cost)次第」の結論なのである。常に、最新の技術に、最新の材料・技術に・・・replaceしておけば、事故はまず生じなかったであろう。トンネルの、大々的maintenanceのchanceでもあれば、或いは、このsystemは廃棄されていたかも知れないのである。それが「文明」の運命ではある。或いは、文明が、一つの使命を終わる時、その命の最後まで燃え尽きる時には、殆どの場合は、「人」を道連れにするのではないか・・・そんな場面で命を失う悲しさは、「神」さへも恨むことはできないものである。

福島の「原発事故」にも似ていて、人間の怠慢といえば、経験、体験していないことが、「怠慢」なのである。原発建設が急がれ、技術の確立が急がれていた頃・・・どんな時代だったか・・・明日にでも、「石油が枯渇する・・・」と、そんな恐怖に帯びていたのではないか。トイレット騒動は何だったのか・・・その環境での、一つの政治的判断なのである。「高速道路」も、「長いトンネル」も、同じ「轍」にあるものである。他人を責めるに急であってはならない。「文明」と向かい会う己のmannerを見直す契機にする謙虚さ・・・大事にしたいと思う。