いじられる・・・・

「いじられる・・・」・・・どんな字を書くのだろう・・・わからないから「かな」にして置く。先の、主婦殺しの青年が、福岡県の福津市の出身と、ブログに読んで、newsに気を配っていたら、高校時代の同級生のcommentが放映されていた。短いcommentだったが、「よく“いじられていた”」と、その様子を、少し喋っていた。その内容が、私の体験に似ているので、少しばかり述べて見ようと思う。

私は、北朝鮮からの引揚者である。本来の実家は、飯塚の方にあるべきなのだが、寡婦(財産家の)として娘3人を育てた祖母が、私の誕生を機に、全ての財を、北朝鮮で、虚弱に誕生した私の為に散財したために、帰るべき故郷を失っていた。仕方なく養子である父の実家に身を寄せて、肩身の狭い思いの中に、引揚げて来た年の暮れに旅立った。朝鮮時代が羽振りが良かっただけ、父方の祖母も、地域からも冷たい仕打ちが続いた・・・筑豊炭鉱の、マンモス小学校に、4年生で編入され・・・毎日、毎日、虐めにあった。担任の優しい女・先生の目も届かばこそ、集団で虐められるのは辛かった。色白、勉強の成績は抜群・・・classmateを見下していた私の態度ももんだいだったのだろう。時に、その子分の一人を捕まえて、下駄で数発殴って、数日間休む程の怪我を負わせた・・・それを見ていた教頭先生は、「憎くても一発にしろ・・・」の一言だけだった。

その時、教師に言われた、「君は虐められやすい・・・一人でいいから友達を作れ・・・」と、忠告され、中学を卒業するまで、同じ方向に帰る友人を籠落・・・宿題を引き受ける、試験の時のカンニング等々、数学の教師(中学)は、事情をしっているのでお目こぼし・・・何事もなく、高校進学が果たせた。しかし、その中学校で、乞食に近い貧乏暮らしの一家をささえている母を激怒させる事件が惹起したのである。本来は、教育ママである母が、貧乏故に、子供が教師からいびられていると感じたらしい。

相手の教師は、社会科の女教師。十歳頃から新聞は読んでいる私である。授業中の態度も決して良くなかった・・・が、そろそろ、就職を睨んだ(高校)進学を考える時期である・・・今時の子供とはレベルが違う・・・一見虚弱に見えて、悪さは適当にする・・・しかし、隙は見せない。弱さ・・・いじられやすい・・・を武器に、悪戯、悪さをする私が許せなかったのだろう。ある時、校内一の悪童と悪戯をしていて、件の女教師に捕まった。その時の女教師の台詞・・・「こんな“いじけた子”と遊んではいけない!」。そして、二年生の一学期・社会科の「授業中の態度」の欄に「1」がついた。

父は、「成績」については、全く口を挟まなかった。しかし、母は、かつては、教育ママである。通知表に件の「1」を見た途端、ぼろぼろのモンペ姿で、中学校に一目散、教員室に怒鳴り込んだ。部屋中が凍りついたらしい・・・以前には、町役場で騒いだこともあったから・・・結果は、何事も変わらなかったが、「いじられる」ことは無くなった。

三つ子の魂百まで・・・私の「才」を認めて、上手に使ってくれる上司が多かったが、時に、とんでもない「能なし」の上司にいびられることもあった四十一年間である。3年間を干されたこともある。他部署の課長の「印」で、出張をしたこともある。しかし、転籍先は、待遇、処遇・・・最高の関連企業だった。しかし、禍福は糾う・・・その単身赴任先から、定年に一年残して地元の支社に戻って来たときも、厳しい「虐め」を支社長や、その取巻きから受けた。そんな私を、若き女子社員が、親切に遇してくれた。「退職辞令」を投げて寄こした職制の送別会は無かったが、女子社員は、心の籠った送別会で別れを惜しんでくれた。

「俺らしい・・・」と、私なりの「波乱万丈」。私が、如何なる虐めにも「死んではならぬ・・・」と言う根拠でもある。また、全ては「身から出た錆び」なのである。「錆び」とは、本体を即死から守る金属の属性である。人間は、本質的には「悪」である。なら、何故、君は「悪」を隠すのか・・・悪人らしく生きなさい・・・と、私は言いたい。