「沖出し」という文明・・・・

津波の襲来に備えて、舟(漁船)を沖合まで出すことを、「沖出し」と言うのだそうだ、11日の朝のNHK・newsに知った。色々と学ぶべきことをの多さを、この頃になってつくずく思う。知らなきゃ考えることも出来ないのだから・・・ロッシュフーコーから、知る努力をいい加減にせよ・・・と叱られても、やはり私には「識る」努力を怠るわけにはいかない・・・。

北海道の「落石地区」と言う小さな漁港である。「沖出し」と言っても、ただ、舟を沖に出すのは、それなりに危険が伴うものらしい・・・其処までは、今朝のnewsに説明は無かったが・・・。漁業組合長のお話では、波の様子は勿論、出航のタイミングが、津波発生から、微妙なタイミングを必要とするのだと言う。何でも、20分、10分、あるいは、30分、50分・・・津波の状況に合わせて、出航のtimingが計られるものだとも・・・。

勿論、研究者と、漁協の漁師との合作・研究である。先日の、仙台沖の津波の襲来に、沖に船を出した漁師が、船に異常がないのに、行方不明になっている。船から転落死したのだろうか・・・。続報がないから、分からない。
恐らく、津波の大きさで、波の状況も異なるのであろうし、その大きさの変化と共に、波の状況も変わるのだろう。あるいは、陸からの帰り波の影響も無視は出来ないのだろう・・・素人の想像は尽き無いのだが・・・

出るだけではなくて、帰港のtimingを誤ると、折角の努力も無駄になる。「perfectはないのだから」と、一人の漁師の言葉が重かった。体験する度に、新しい理論が生れ、dataを得て、対策が検討され、新しいruleが生れる。勿論、全漁師が納得し、厳守することで、次の体験に生かされる・・・勿論、ruleは、出航・寄港のtimingだけではない。津波は時を選ばず、津波自身の大きさと速さで襲ってくる。沖へ無事出ても、収まるまでの時間を津波が教えてくれるものでもないし、決まったものでもない。「水」、「食料」・・・最低限必要なものの準備は日常の努力である。また、dataに基づく、共同行動であっても、身を守るのは個人の責任である。

つまり、体験が、次の体験に繋がり、新しい発見を促す・・・個々人の、体験を数値化してルールに繋ぎ、次の体験を生かす縁とする・・・・危険だからと言って、危険から逃げるのではない、漁を止めるのではない。危険だと言う意識が、体験から学ぶ姿勢を促す・・・漁は、古い文明である。そして、日々新しい文明である。一つの危険への挑戦、体験からの学び、近代科学を、学問を軽視しない慎重な日々、謙虚な日々・・・それを生かす「勇猛果敢」。私は、「文明」への尊厳の姿を、此処に見るのだが・・・。