敦賀原発&活断層・・・

敦賀原発が、活断層の故に廃炉と・・・原発反対論者には朗報・・・反体制的活動家には、この国の歴史上の朗報であろう。まぁ・・・無責任な朗報だから、また何処でひっくり返るか分からないが、まぁ・・・今回は、一先ず「廃炉」への方向で進捗するのだろう。その結果が、どの様に地元を含めて、関係先に影響するかは、先行き不明・・・が、正しいだろう。明日からでも廃炉となれば、「夕張」と同じ運命が、地方自治体の上には襲ってくることだけは、可なりの精度で確実だろう。しかし、それは、原発の責任でもなければ、政治の責任でもない・・・地元地域が、「原発」の上に胡坐をかいて「酔生夢死」を安穏に貪っていたことへの「報酬?」でしかない。よって、同情するに値しない。

私自身は、活断層の活動に備えた「実験炉」の意味付けもあるのではないか・・・勿論、福島原発の二の舞は避けねばならず、私は避け得ると考える・・・勿論、即停止の採用もあるだろうが、それを論じるのは、このブログに持たせたい意味からは、無意味であるから、それは論じない。むしろ、「福島」を避ける為のsimulationを繰り返しながら、実行できる手段を根気よく考案・実行して、実効ある成果を得るべく努力を重ねることが肝要であると、考える。

その前にまず「福島原発」の経緯を押さえておきたい。私は、この事故は、原発設備の事故ではあっても、原発と言う「装置」の事故ではなかったと、全体の事故と部分の事故とを分けて考える。
この事故の直接の原因は、「電源」の喪失であり、そのbackupの不手際・・・事故の本質と、私は考える・・・であり、冷却水の喪失である・・・海水注水が行われていれば、原子炉は利用不可になるが、事故、及び規模は、全く違った様相を見せたのではないか・・・との意見もあったと思う。その前に、殆ど議論の対象にならなかったが、「bent」の問題がある。地元民への心証が悪いから、装置の完備を怠ったのだという・・・これが機能していれば、「水素爆発」だけは避け得た筈であり、原発存続・廃炉も別の様相で議論されたのではないか・・・一つの技術の効果が検証されないままに、闇に葬られた。
そして、その最大の要因は、判断値を超えた津波の規模であり、判断が其処に至らなかったことであり、ほぼ、人間の能力を超えるものであったのでは・・・との懸念からは、全ての文明を拒否する覚悟での敦賀原発廃炉の決断もあり得る・・・と、思う。廃炉への決断の意味である。

しかし、活断層の活動で、如何なる事故が想定できるのか・・・そのsimulationは続けて行くべきではないか・・・決して、運転継続を希望するためではないが・・・
活断層の活動に耐える装置を目する為の、simulation dataを得る為の存続。
②比較的小規模な活断層に対応しながら、設備の安全性を確認する為の存続。
活断層上、あるいは近くの設置は絶対駄目だと言う限界値的dataの検証等。

勿論、装置の安全とは、最大限予測を超えたところに発生する・・・人智を超える。その幾つかの限界を超える「知的財産」を得るための、存続もあるのではないか・・・危険だけを言い立てれば、新幹線でも飛行機でも、あるいは高僧建築でも、人間の文明に安全なものはない。危険地が、奈辺にあるのか・・・その見極めへの普段の努力は、文明、なかんずく技術の世界に生命を託す運命にある、人間の宿命として、お互いに謙虚に論じるべきであろう。