学歴を下げる・・・健全化に舵を切る世間・・・・

あえて学歴を下げて・・・早めに大学を中退したり、進学をやめたりと言うことらしいが・・・高卒で早めに就職する方が有利だ・・・と、言うことらしい。世代が古い程、当然の常識に聞こえるのではないか。私の父も、私を、中卒の段階で就職させた方が・・・と、考えていた節がある。町工場が衰退の兆しにあり、職人の資質のない長男をどうするか・・・結局、工業学校の在学中に考えようと・・・進学させてくれた。基本は、早く仕事を選べ(あるいは出会え!)、早く大人になれ・・・ということだったのだろう。理想は、学ぶ前に「働け!」が、基本なのだが、文明の進展が、それを許さない状況を、悲しいことに、人間自身が作り上げている矛盾があるのである。
その1;;;;
昭和25年のレッドパージで、左翼的な人材が職場を去った。この時、大手企業(Ex.鉄鋼)では、核部署で人材隠しが行われたと聞く。つまり、目立たない職場に一時的に(当人を説得して)配置換えして、数年後のほとぼりの冷めたころに復帰させる・・・しかし、この人材、ライオンはライオンだった、安保の頃に相当暴れたらしい。

この余波で、数年を得ずして、近代化・拡張の助走を始めた現場では、少しづつ採用が活発化しつつあった。事務職は、人事扱いでも、現場の作業者は、「整員課」の扱い・・・つまり、「もの」あるいは、「必要物資」と同じ扱い・・・そんな時代背景。
レッドパージで、一度は馘首された人々が、手練手管を弄して、作業員として、必要に応じて採用される。有名私立大学の卒業生が、妻方の「性」で、作業員として採用される・・・離婚して、婿養子として再婚・・・その時の学歴が「小学校卒」あるいは「高等小学校卒」・・・旧制中学校の学歴では、身元を洗われる懸念もあるし、この学歴では採用されないのが普通だった・・・から。

現場のshift managerを拝銘した時、この方々の存在をしって、吃驚したものである。しかし、この方々は辛酸を経験し、家族もあるので、優しい方が多かった。事故の弁明書に手入れをして頂いたこともあるし、社内教育の宿題を片付けて頂いたこともある。しかし、心中には「鬱積」したものがあるのは争えないので、新・学卒の、生煮えの管理者と争いも絶えなかった。また、その闘いは面白いものでもあった。学識・辛酸・経験・・・が、一つになった時の強さに刮目させられたものである。しかし、報いられることは、少なかった。でも、私の様な高卒の生意気な少年、青年を相手にする時は、楽しそうだった。私自身、大人への道程を、この様な環境で経験した幸せを、今も思う。
その2;;;;
ITバブル・・・平成の初期・・・5年位までか・・・その数年前に、NTT社長、NEC社長、富士通社長が、三人揃い踏みで、各企業を回って、SE(実はprogrammer)の不足と、その将来性について講演の旅をしていた時期がある。曰く・・・日本と韓国の、20歳代の青年の全てがSEになっても、尚、人材は不足する・・・と、言うものだった。
Computer・system(以後、systemと省略)の構築(業務のsystem化・application・system)にenergyを投入し始めていたころである。言語は、勿論「COBOL」。ComputerはHOST・computer・・・personal computer普及の前夜である。Soft企業が、systemの設計構造図から、自動的にprogramを作成するtoolの開発に余念のなかったころ・・・。

私が正式にcomputer・system部門に配属になったのは、その数年後・・・word processorが自在に使えるが、転属の理由だった。昭和36年頃に、小さな、フランス製computerで、小さな物流systemの開発に関わっていた・・・programを8bitの紙tapeで読み込ませ、8bitの紙tapeで結果を得る・・・が、当時の上司から、こんなものは、近い未来に不必要になる・・・と聞かされていたので、programmerそのものを軽蔑の眼で見ていた。

現場に派遣SE受け入れたのは平成3年・・・SE暦4年という一人のSEが、全く使いものにならないSEだった。直の新入社員と一緒に、他の覇権SEの指導を受けていたが、年齢的には不思議だった。そこで、当人を問い正すと、某私立大学に在学した「4年間」を、SEの体験期間と偽申告(履歴書)していたことが判明・・・派遣先企業が、大手soft企業の三次下請であり、社員の教育等には全く関心のない会社・・・当人は、元承け企業、二次下請け、そして、三次下請の名刺を器用に使いこなしていた。バブル崩壊後は、お引き取り願ったが・・・ITバブルを支えた、SE劇場だった。
その3;;;;
現場の学卒engineerが、一つの現象を「構造式」に展開する。その構造式から生れた、計算式を、タイガー計算機を廻し、算盤を駆使して計算するのが、私の様な高卒engineerだった。現在だったら、中学生程度でもpersonal computerと、関連のsoftで行える、分析や計算なのだろうが、構造式、数式への展開・・・この段階には、現代においても、それなりの「頭脳」が必要なのだろう。その「頭脳」に至らない「脳」が、努力もしないで、社会に出て来る・・・そこにbrakeが掛かり始めたのかな・・・現にbrakeが掛かっているのかな・・・私には「朗報」に聞こえる。一つの「文明」の黎明と、その終焉に、終焉に気付かずに潰れて行く人間の姿哀れに思うが、それが、「人間世界・社会」なのであると、目を瞑る前に確認出来た嬉しさはある・・・。