ベアテ・シロタ・ゴードンの死に思う・・・・

ベアテ・シロタ・ゴードン・・・「シロタ」ト略・・・父が、ピアニストの日系ロシア人、母はユダヤ系ロシア人・・・国籍はアメリカ。日本に約10年間生活した経験を持ち、堪能な日本語を生かして、若干23歳でGHQに勤務。戦後の「日本国新憲法」の作成に参加・・・日本女性の地位向上の理念を織り込むべく奮闘した女性。市川房江等との親交が厚かった。
憲法策定に携わった最期の1人となっていたと言われる・・・現・日本国憲法の改訂が俎上に登るかにある現況に於いての死去は、一つの時代の必然でもあるのだろう・・・私は思う。

憲法・・・「新」の冠が、半世紀を超えても外されなかったことは、この憲法が、何処かに「時代」との不整合を孕みながら生き習えている様を見せているのだろう・・・私の観察なのだが、原因の一つが、開戦前夜から敗戦に至る、世界情勢の中の「日本」についての、特に識者の理解・感覚が、世界の日本感と大きく乖離していることに、日本人自身が無関心だった・・・と、言う事であろう。

敗戦は、ミッドウエイで視野にあったはずである。しかし、真珠湾の戦果が余りに華々しく、あるいは、アメリカの立場からは、余りに惨めであったが故に、戦争は、その停戦(あるいは日本の敗戦)の切欠を掴みえないままに進行・・・原爆に至り、再度、真珠湾とは、間逆の敗北感で終了した。為に、その敗北感に、戦争前夜の外交、戦火の中の外交・・・そして、その結果に対する反省をすることもなく、独立・再生への道が始まった。
故に、日本人識者・学者に任せられた「新憲法草案」は、旧・欽定憲法の域を出ることなく、世界に、新しい日本の政治理念を示し得ないままに、GHQの強制による現憲法の誕生となった。その裏には、再軍備、日本軍閥再興の可能性を怖れる、「極東委員会」の存在を忘れてはならない・・・と、私は考えるのだが、それを論じる人は少ない。

かくして、GHQ憲法・・・現行憲法の誕生である。その中で、唯一評価されるのは・・・今日の評価に耐えるのは・・・シロタ・ゴードンの担当した「女性の権利」の部分ではないのか! 今日、この理念に至らない日本女性の体たらくを難ずる方は多くても、この部分の排除を説く識者は少ない。それだけ、戦前の女性の地位が低かったと言うべきであろうが、それが、単なる「女性参政権」の問題ではないことを識る女性は、知識人に於いても少ない。

つまり、学徒動員・・・という名称で、子供達(学童、学生)を、戦時体制に組み込んだ国家は、先の大戦で闘った国々の何処にもない。戦時下あっても、空襲や、砲弾に怯えていても、きちんと子供達を教室で教育していたのが、欧米列挙だったのである。そして、戦時下で不足する労働力を補ったのが、家庭の主婦だった・・・戦後の女権拡張の起爆はここに存在するのであり、女性の軍人誕生も、男女同権を詠う憲法の遵守を求めるcampaignに始まり、多くの女性指揮官、高級クラス軍人の誕生に繋がっている。
つまり、今日の「女性の権利」は、欧米に於いては、女性自身の「力」で勝ち取ったものなのである。シロタ・ゴードンの要請は、マッカーサーに依って、その多くが排除されたといい、辛うじて残ったのが、今日でいる「男女平等」なのである。マッカーサーが、「日本人は12歳・・・」と言った時、恐らく、「日本女性は幼児・・・」だったのではないか・・・その無理を、ゴードンに窘めたのだと私は思う。

今回の安部政権で、この男女同権に関わる部分がどの様に論じられるか・・・興味のあるところだが、私は、ゴードンよりも後退するのではないかと危惧する。地域に於いても、色々な社会的活動に於いても、男性の背中に隠れて主張し、声高に叫び、自らの身を晒すことなく、女性の「弱み」を武器とすることを生業とする習性・・・国会議員や、地方議会に女性の姿が少ない・・・しかし、それを論じる前に、地域の区長を高齢男性(70,80、時に90歳代)に任せて、何ら恥じる事ない、我が(女性)姿を恥じるべきだろう。