体育系指導者の人格・・・

顧問、コーチ、監督・・・名称は色々あるのだろうが、大凡、この類の人物に尊敬するに値する人物にお目に掛かったことはない・・・自らの在学中も含めて。しかし、例外がないではないことも知っているし、仕事で親密になった方が、かつて在学した高校、あるいは大学で指導を受けたコーチ、監督と、楽しそうに「盃」を交わす場に達合ったこともある。しかし、例外なく、その場には、「成績」:に関する話題・・・XX大会で優勝したとか、国体、県大会等に出場したとか・・・と言った話題が全くなかったことに、随分後になった気付いたことを、ふた昔ほどの記憶の中に思う。

中学校時代は、貧しい時代だから、ユニフォーム、道具が自前で準備できなければ、スポーツ系の部活には参加できないし、況や、引揚者の極貧家族には、regular等は、夢の、また夢・・・オリックスの監督を務めた「仰木彬」の打った打球を、運動場の場外に探した日を追憶に楽しみことはあるが・・・。その姿は、遥か宇宙の彼方の姿だった。彼が、甲子園の土を踏んだ時、その高校(東筑高校)のnineの4,5人が、彼が白球を追った中学校(中間中学)の出身だった・・・当時の記憶に、この中学・野球部の監督の怒声を聞かなかったことを思うことがある。「荒くれ男の街、中間町(筑豊)」だったのだが・・・。後に、福島を要して、甲子園の夏に「二連覇」を果たした「小倉中学、小倉高校」・・・同じ学校・・・の、野球部監督も静かな人だったとか・・・

この様な回顧の中に思うのは、高度経済成長の中の「モーレツ!」の流行語がぴったりの競争社会が齎したものなのだろうと、私は思う。そして、映画「真空地帯」に描かれた様な「シゴキ」と言われる、邪道な軍隊の初年兵、弱い兵隊への、兵舎における虐待が、一つのサンプルとして、子供達を鍛える方法として定着していったのだろう・・・私の推察。

「戦後は終わった・・・」と云われてから久しいし、「戦争を忘れるな・・・」との言葉もかしましい。何のことはない、学校の教室や運動場には、「戦中」がしっかりと残っているのである。日本の教育の原点は、「寺子屋」にあり、各藩の「藩校」にあり、長屋に居着いた、録を失った浪人達に、その端を発するといってもいいのだと、私は思うのだが、武士の藩校を除けば、子供に「字」を習わせる効果など、身分制社会の中で、どれ程の効果も期待しないものだった・・・と、私は思う。家の中で、あるいは近所で悪さをするより、僅かな金額で、「字」の一つも覚えれば・・・位のことではあったろう。しかし、教える側の「優しさ」が、その根底にあって、家におれば、父や母から怒鳴られ、叱られる餓鬼も、寺子屋や、長屋の先生(浪人)の部屋が、天国にも似た場所であったのではないか・・・私は、進化・発展する文化の中で、唯一「教育」が、特に、高度経済成長の環境の中で、堕落したものの一つだと信じて止まない。

学校の名誉とはなにか・・・あるいは、存在するものなのあろうか。もし存在するとすれば、それは「歴史」の積み重ねの中の珠玉の幾粒かが発する「光」なのではないか・・・国体、県大会、その他の大会に選出されることが、何ほどの価値なのか・・・勿論、名誉があるとすれば、それは、至って個人的なものであり、その歴史の中の個人の集積が歴史的評価を得て、名誉も生れるというものだろう。
もう、そろそろ、戦中の、戦争用の文化から完全に脱するべきではあるだろう・・・いささか遅きに失した感はあるが・・・・