空母とメディアと・・・

「空母はなくても良いが、真実を伝えるメディアは必要・・・」。先日来継続して紙面を賑わす、中国・「南方週末」を巡る報道・・・主に広東省が舞台の様だが、北京、上海・・・と、広がりを見せるのだろうか。権力・体制側が、その存在を揺すぶられる様な報道に晒されるのは、その嘗にあるもには恐怖だろう。特に、国民に、何を約束するでもなく、唯我独尊的に定めた、目標であり、目的である、自分が許されている地位を保つことが、子や孫の未来になるのだから・・・。

過去の中国を識るにつけても、この国の歴史は長いだけでなく、その中に、現在先進国と言われる諸国の今日ある姿の在り方を教えてくれている・・・と、私は思う。現に、中国・三国志に関わるドラマが日本でも人気があり、韓流・時代劇ドラマが、人気であるのも、そのしからしめるところだろう。
例えば、高句麗滅亡の顛末、新羅⇒高麗への政権移転、そして、残忍な歴史を刻んだ、高麗⇒朝鮮の歴史等、殆ど、18世紀・フランス革命とその後の近代国家への脱皮は、殆ど重なるのではないか。北朝鮮が、懸命に「三世代世襲」を成功させたいと足掻くのも、そのモデルは、自国の古代〜近世の歴史に存在している・・・そして、中国の歴史は、民衆の不満が、必ず秀逸な指導者、統率者の下に結集し、政権を危うくする。韓国の様に、部族が、その政権交代の機会を伺うものとは一味違って「燎原の日」の如くに拡大する恐ろしさを持っている。

何処かに、歴代の中国王朝を揺さぶり、あるいは政権を崩壊させた「指導者・革命家」が現れれば、今日の共産党政権も、瞬時に倒壊するのだと私は思う。そして、恐らく世界の先進国の怖れるところでもある。何故なら、中国の崩壊が、一国の崩壊に留まらない、多大な影響を及ぼすからである。さしずめ、阿呆な父親でも、暴虐な父親でも、父親の存在が欠かせない家族に似ているのである。

共産党政権が成立したのが、昭和49年(1974年)・・・まだ日が浅い。崩壊の兆しが見えてはいても、まだ100年は維持可能であろうし、列強も、そう簡単に政権が傾くのも困る。恐らく、日本も例外ではない。
日本の政権の「主」を天皇におけば、それは、世界に稀なる長期政権である。しかし、実効ベースで政権を考えれば、徳川の200余年が最も長期政権である。「維新」とは、中国の思想史の中の一節らしいが、「房・・・相撲の黒房、赤房等」の房の部分の「維」を現す言葉であり、それを束ねる房の根元を変えずに、房を取り換えることを言うのだと言う。その意味では、英国、日本は、しっかりと「維」を束ねる房の根元がしっかりした政権構造であると言える。つまり、温故知新のことなのだが、全てを革命する思想には不可能な政権交代の原則と言うべきだろう。

中国も韓国、北朝鮮も、この「維新」の思想を忘れて久しい・・・朱子学の罪だと言う、司馬遼太郎の言説でもあるのだろう。それでも韓国は、曲がりなりにも近代化にある。しかし、北朝鮮、中国は、まだ、朱子学の世界を彷徨っている後進国だと断ずるべきだろう。
地勢的に隣り合うのは「運命」である。あとは辛抱あるのみ・・・故に、その辛抱から新しい知恵もenergyも生れる。島も海も、競い合う為に存在する・・・そして、其処に歴史が生れ、時に、新しい文化が生れる・・・楽しからずや!

健全なmediaよりも、空母が大事・・・mediaが無くても空母があれば国は存在できる・・・烏滸の沙汰である。