アルジェリアの悲劇・・・

「人命第一」の安部総理の願いも届かなかった様だ・・・アルジェリア政府としても、国家の存続を賭けたゲリラとの対立なのだから、そう安易に、「ハイ・ソウデスカ・・」と言う分けにはならない。恐らく、日本で同様の事件が起これば、根気強く、ぎりぎりまで、突入・攻撃とはならないだろうが、それは、第二次、第三次の攻撃が加えられる可能性が殆どない、日本国の治安の現実にあると考えるべきで、安易な日本との比較・・・日本名なら・・・は、厳に慎むべきであろうと、私は思う。

日揮」・・・すばらしいengineering companyである。在職。3度目の転籍で、Plant engineering部門に配属された時、Plant建設projectのengineeringに関するcomputer systemの構築に携わった折に、数度、本社を訪れたことがある。確かアース・アンダーセンから勧められたからではなかったか・・・と思うのだが、「こんな企業が存在するのだ・・・」と、日頃、大きなbuildingが出来たり、ダムができたり、あるいは、新幹線が出現したり・・・そんな事象をぼんやりと、春先に、土手に芽を出す土筆の様に眺めていた私の目を開かせてくれた企業だった・・・刮目というのだろうか。

この企業、特段に製造設備を有するのでもなく・・・言わば「段取り」を使命とする企業だと、その時私は思った。そして、「段取り」の重要性について、初めて体感したものである。

つまり、projectは「人、もの、カネ」を消化しながら進捗する。如何に効率よく消化するか、そして、projectを如何に効率良く進捗させるか・・・養老孟司の言う、文明はすべて、人間の「脳」の中の現実である・・・の言葉の通りなのである。恐らく、ここの社員は、いやengineerは、boltの一本を手にすることはない。恐らく、建設現場で、鉄骨に手を触れることもないだろう。しかし、彼らが不在では、projectは進捗しない、設備はビルは実現しない・・・・恐らく、古代の大仏も、あるいはピラミッドも、当時の日揮の様な役割を担った技術集団が存在して実現したものであるだろう。

日揮の社員の犠牲・・・それは、このPlant全体が破壊されたよりも、大きな損失なのではないか。彼等の「脳」の中に存在した「段取り」の内容が全て失われたことになり、それを再現することも、他の「脳」に代替することも不可能なのだから・・・。恐らく、日揮は、その立て直しに多大なenergyを割かなければならない・・・もちろん、アルジェリアにとっても、その損害は計り知れないものがある筈である。

もちろん、留守を預かる家族の悲しみは計り知れない。不条理でもあるだろう。父は、兄は・・・企業と言う戦場で倒れた・・・恐らく、明日の「段取り」を考えながら、家族との再会の日を数えながら、襲う危険・恐怖と闘ったのだろう。詳細は、追々分かってくるだろう。今は、冥福を祈るだけである。