桜宮高校・体育課における入試の中止の英断・・・

橋下徹大阪市長の、初めての英断・・・と、私は評価する。彼の、市長の枠を超えた政治的行動には、大きな疑問符を付ける私だが、この英断だけは、大きく評価したい。

一つは、問題の存在と、その場所を明確にしたこと。つまり、自殺した少年への、学校長、教師、教育委員会の冤罪を明確に指摘したこと。これは、少年の「名誉回復」でもあると、私は考える。彼の自殺を「死に損」にしなかった、彼の弁護士らしい理念に沿ったものでもあったのであろう。虐めが原因で自殺に追い込まれ、犯罪的行動を取らざるを得なかった少年達の「名誉回復」と言っても過言ではないだろう。私は、体育課の入試中止を超えた、全てのスポーツ部活の廃止までに及ぼして欲しかったのだが、それには、クリヤーしなければならない問題が多すぎるのだろうと、推察する。
もう一つは、教育と勝負の価値感の混同を指摘したこと。学校、なかんずく公立高校が、スポーツ有名校でなければならない理由があるのか・・・寧ろ、多くの少年に、スポーツの楽しみを経験させることが、その教育の理念に叶ったものではないのか。「クラブ・スポーツ」が、未発展、否、スポーツ後進国の日本にあって、学校スポーツ、企業スポーツの価値を粗末に考えるものではないが、クラブチームの発展を促し、その場を借りて、選手が育つ、少年の夢を育む・・・そんなシステムへの挑戦が、もっと果敢に、積極的に行われるべきではないのか・・・甲子園の高校野球も、あるいは、大学野球や各種スポーツも、本来、クラブスポーツとして存在して、スポーツの発展に、グローバル化への拡大に寄与し、スポーツが万民の精神を育てることになるのではないか・・・スポーツ音痴の私でも、ボタ山の三角ベースボールでは、花形プレイヤーだった・・・そんな誇りを、77歳の今も、心の支えに出来るのである。

高校生が、教育委員会に「不服申し立て」をする様子が、TVに放映されていた・・・局側の、従来の隠蔽的問題処理志向の報道を感じさせるものではあったが、彼らが、パフォーマンスではなく、本気で行った行動なら、私は、彼等に重大な誤りがあることを指摘し、少年を自殺させた・・・殺した・・・罪は、「君達にもあるのだよ!」と忠告したい。

少年の葬式には参列したのであろう。そこで、どんな涙を流したのか・・・考えたことがあるのか。彼の死を悼んだのか・・・ならば、その死を無駄にしない為の、自らの行動が如何に在るべきかを考えたことがあるのか・・・

先日、マイケル・サンデルと35人の中学生の、虐めに関する討論会(2に時間)を視聴した。ゲストは、現役校長と元・校長、ボクシングの前チャンピオン(内藤大輔)、そして、若い女優、女優の富士真奈美、そして、髭面の漫画家・・・中学生の発言は、中学生らしい、言うなれば、生活実感は薄いが、精いっぱいの発言だったと、私は思った。マイケル・サンデルは、ハーバードの学生に劣らないと絶賛したが、彼等の、近き未来を期待しての賞賛だったであろう。
そして、内藤大輔の、自らの体験、そして、そこに存在して欲しかった救済の手段・・・そして、半ば諦めの中で苦しみながら成長した若き女優の発言には聴くべきものがあった。
しかし・・・・・である。
富士真奈美と髭の漫画家の発言の、なんとステレオタイプ・・・こんなのをゲストに呼ぶとは、NHKの見識も疑いたいのだが・・・こんな発言を封じてしまう、今朝のニュースに聞いた、橋下徹市長の発言・・・少年達を救う力は、この社会には存在する。多少、ハメを外しても、助けるべきを助ける人材が存在することに力強いものを感じた「朝」だった。

昔軍隊、今、学校スポーツ・・・私は、同等の悪しき理念を思う。私も、中学、高校で、常識も良識もない体育教師に出会って、苦しんだ・・・スポーツ音痴の私だが、山の畑に、「肥えタゴ」を担ぎ上げる力も、中学生で、60キロの石炭袋を担ぐ力も、また、太くて長い丸太を盗み出す力も、それを、割って薪を作る力も、一日に数十架の水を数キロ離れた井戸から、毎日運ぶ力も備えていたのである。そんな私を、能なしとして蔑んだ、何人かの体育教師・・・彼らが、運動場に選手(予備群)を叱咤する言葉は、反吐が出る程に汚いものだった・・・自殺した少年も、親にも語れない「卑しい、汚れた言葉と暴力」に苦しんだのだろう。冥福を祈る。そして、君の死は決して無駄異にはならない・・・と、その霊を励ましたい!