子供の言い分・・・・

子供の言い分を聞かない大人は嫌われる。私自身も、何度も恨み、大人の理不尽を思ったmおのだ。しかし、その体験があったればこそ、「世の中には、理不尽なこともあれば、自分の意見が聞き届けられない、聴いて貰えないこともあるのだ・・・」と、社会人になった時に、幾度救われたことか。
社会人とは、一つの不満の処置を誤ると、その瞬間に、己の人生を失ってしまうこともある。一人の人間は、一つの経験・体験しか出来ないのだから、単純に比較は出来ないと言う御仁もいるが、不運が続けば・・・自分が招いたことなのだが・・・別の生き方もあった、別の道もあった・・・と、思うから、その選択について、他人を恨むから、結局解決もないのである・・・過去には戻れないのだから、過去を解決するとは、今・現在の選択に掛かっていることなのだが・・・。

閑話休題・・・長髪は禁止、履物はズック、制服はなかったが、市販の学生服、映画も禁止、外食・・・通学途中の買い食い・・・も禁止。ある時、長髪解禁の要望をしようと、クラスで話が纏まったことがある。一回目の要望は、にべもなく拒否された。再挑戦で、親知恵を借りることにした。
私の父は・・・長髪禁止は、入学するときに納得していたのではなかったか? と、私に問うた。戸惑う私に父は言った・・・学校を止めたかったら「長髪にしろ!・俺は止めない・・・」と、そして、学校を止めるのなら社会人だから、自分の口(生活)は自分で責任を持て・・・と。
クラスメイトに、私はそのまま語った。子供の肩を持つ親もいたが、「お前の親父に反論はできないな・・・」と、大凡が納得した。

大阪、桜宮高校の、子供達の嘆き・・・大阪市長への陳情、その結果の不満のニュースを新聞によみながら、「俺達は大人だった・・・」と、自分自身を評価した。しかし、私の判断が、子供達には不条理に感じられるだろうことは承知である。つまり、不祥事の主体は、「教師・顧問」の方にあるのだから・・・。しかし、級友の自殺を止められなかった・・・この事については、多少なりとも、子供達も反省すべきではないか・・・罪が、子供達にもあると言うのではない。ただ、眺めていただけのマナーへの反省が、まずあるべきではないかと、私は考えるからである。

もう一つの、私の体験・・・ある授業が教師の都合で「体育」に変更になり、2時間連続しての「体育」となった。カリキュラムの準備がなく、体育の教師は、我々に「運動場の草取り」を命じた。交換条件として、次の時間は、自由に使って良いとの条件で・・・しかし、草取りが終了した時、教師は教師はマラソンを命じた。約束が違う・・・生徒の大凡がブーイング、傍にあったバットを投げ捨てたら、教師の背中に当った・・・偶然だったのだが・・・激怒した教師に、私は殴られた・・・当然だと、私は納得したのだが・・・クラスメイトの一人が納得しなかった。しつこく教師に喰らいついた・・・結果はボコボコに殴られた・・・私の、今日においても負目なのだが・・・しかし、夏休みが終われば就職試験が始まる。一般カリキュラムの教師が、件の教師を宥め、校長を説得して、事件を不問にし、私も、件のクラスメイトも、就職を果たした。氷河期の昭和29年である。

非は、約束を破った、あるいは、安易に口約束をした教師にあると、私は今でも思っている。しかし、バットが当ったのも、しつこく、その非を責めたのも、生徒の側の落ち度ではあっただろう。昔の教師は偉かったのか・・・日頃から、教師にあるまじきマナーの目立つ件の体育教師への、良識的教師の“仕打ち”ではあったのだろうと、私は思う。
もし、あの時、教師に非んばしとして、私達が懲罰を受けたとしたら、就職のチャンスも奪われていただろう・・・どんな人生になっていたのだろう。自殺するほどの軟ではなかったと思うが、辛い人生になったのではないか・・・。

一人の子供の自死を黙って見過ごし、反省の色も薄く、その陰に隠蔽の事実すら伺える・・・校長、教師、教育委員会の体質・・・橋下市長ならずとも、怒りに燃えるのは当然であるべきだろう。そして、今回の処置である。この処置にしても、橋下市長の感覚からは、99歩譲っての決断ではなかったか。
自死」と言うものの重さ・・・周りの人間的環境では責任を負えないのは、その「重み」に由来するのだと、私は思う。少なくとも、メディアも、教職員組合の、教師の暴力・虐めによる子供の自死については、もっと厳しく、その責任を感じるべきなのであるが、今回も、何の反応もない。

子供達には、荷が重すぎるだろう・・・今は。成人したら、社会人となったら、親となったら、場合に依っては教師になったら・・・必ず、この事件を記憶の底に掘りだして欲しいと思う。いや、それが、君達の責務であると、私は思う。