まだ、普請中の日本・・・

「日本は、まだ普請中・・・」とは、森鴎外のフレーズだが、同じ頃に、漱石は、「日本は滅びるね・・・」と、その登場人物に言わせている。
日に日に、告発のレベルが上がる「虐め」、そして、今回の、女子柔道部の不祥事・・・一面で、日本女子の成長を喜ぶべきだと思うが・・・平塚らいてふ、樋口一葉伊藤野枝・・・等々、明治・大正と、近代化の中での新しい女性の進出がありながら、「母性」といKWを悪用する「男」の論理の陥穽に落ち込み、戦後の復権もならず、今日に至った女子の、囁かな反抗ではあったと、私は思う。

そもそも、女子柔道のコーチ、監督が、何故「男」なのか・・・私には不思議である。女子の男並みの成績を期待して、その成果は、男社会の「柱」にする・・・これほど、男の風上にもおけない仕儀なのだが、それに、やすやすと嵌ったのも、女子の自覚・独立の意識に欠けた、日本女子の「劣等意識」にあるのだと・・・我が女房殿に語っても、露ほどにも相手にされない。男社会の持つ「社会理念」では、この女性の持つ、いや持たざるを得ない「二重性」への理解が未熟なのだろう・・・育児をする夫、妻に代わって家事をする夫・・・等などが健全に育ち、普及してくれば、明るい兆しはあるのだが、この女子柔道事件の顛末をみていると、まだ百年は早いかな・・・道遠し・・・である。

今般、アメリカで、女性兵士も最前線で戦える・・・戦闘の参加することが可能になるとように、「法」が改正された・・・女性兵士の長年の要求が認められたのだと言う。
つまり、戦闘の前線で戦えないために、兵役の昇進に、男性との「差」が大きく、また、退役後の、得られるべき「利」への差別が生じていることへの不満らしい。つまり、「平等」とは、その平等な努力と危険に晒される平等との間に存在するものなのだ・・・と、教えられる。

女性故の、侮辱、身体的跳梁・・・日本の女性のハードルは、天にも届く程に高い。地域の行事・・・特に体育系・・・でも、女性が、少しでも男性を凌ぐ成績を出すと、お世辞たらたら、賛辞の声があがる・・・実は、日頃の侮蔑の裏返しなのだが、その男性の背中を押す女性の存在も無視は出来ない・・・女性の「性」と言えば、明らかに差別発言だが・・・同じスタートライン、同じゴールで、その力を競う・・・そして、その成績が表彰されることはあっても、観客の目は、感情は、もう一つの景色を見ている・・・その様な、環境が何時生れるか・・・

女性の、男性に媚びる姿は醜い。しかし、男性が女性に媚びる姿は、一定の女性に、優しい男性としての評価を得る・・・スナックでバーで、女性に優しく言いよる男性・・・中年、高齢者・・・男の目には、唾棄すべき汚物に等しいのだが、巷の、噂が女性の独占であってみれば、それを無視し得ない男性も多い。

今回の、男性コーチ、監督、あるいは組織の幹部も、そんな男性軍の一部だったのではないか・・・私は疑う。表で、厳しく、時に暴力を差別的に利用しながら、陰では、特定の気に入りと「いちゃつく!」そして、それを受け入れる女性も皆無ではない・・・長年、汚れた、腐臭ぷんぷんの男女関係を目にしてきた、悲しい目が、そう言う。

国会議員や、地方議会に女性の姿が少ない・・・と言われる。企業の幹部に女性が少ない・・・と、言われる。日本が、真の先進国とは評価されない所以でもある。そして、それを、男性の所為にする・・・しかし、地方の、地域自治会で、女性がどれ程の活躍をしているか、苦労をしているか・・・なにかあれば、夫を背中に隠し、己の前面には高いハードル、大きな盾で、世間の風を防いで、身を隠す・・・それが、日本の女性の姿ではないのか・・・そして、一面では、汚物的な男性の優しさに惑わされる・・・今回の事件の裏に潜む、この社会のエトスを、考えないわけにはいかない・・・と、私はおもうのだが。