消えて行く「戦争の記憶」に・・・・

戦争の記憶が消えて行く・・・司馬遼太郎が言う、戦争の犠牲者・・・引揚者、空襲の犠牲者など、戦争に起因する諸々の犠牲者を含めて・・・が、民族・国民の「御先祖様」になった時、初めて、彼らが生きるということだ・・・つまり、個々人の追憶の対象ではなしに、歴史を教えてくれる存在としてではなしに、悠久の歴史の中となるのだと・・・。その点で言えば、一世紀の間に、2回も世界戦争を引き起こしたドイツ国民は、まだまだ、蕃族だっということかも知れない。

新聞の記事では、今夏の「参議院議員選挙」に、遺族会からは立候補をしない、推薦もしないと言うことらしい・・・この団体が、全く選挙マシンとして動かないと言うことではなさそうである。つまり、自らエンジンを掛けて・・・と、言うことではないらしい。

戦争の記憶が薄れる・・・自称・平和団体NPOでは、常に問題視するテーマだが、遺族会への思いは皆無なのだろう。恐らく、蛇蠍の如く嫌う対象だろうから・・・。しかし、人類史上、最後の植民地戦争を実行したのが日本である・・・と、私は考える。そして、現在の所、人類初の、戦争に使われた「核」の犠牲者を出した国であり、広島、長崎は都市である。在日北朝鮮が、広島、長崎を、特に、子供達の修学旅行で訪れているのか、否か・・・この惨禍を目の当たりにして「喝采」を叫ぶ様だと無駄なことだが・・・

しかし、遺族会の方々が、欺瞞に満ちた国家政策の犠牲になったことは、否めない事実であるにしても、現況・東アジアの現状に無関心であってはならないことも、当然の利である。今、北朝鮮への墓参の動きが盛んであると聞く。しかし、北朝鮮で、3人の子供をなした父は、長男の私に、お前は絶対に参加してはならない・・・まぎれもなく、我々は侵略者の一人であり、家族なのだから・・・無事に、日本の地を踏むかでは、その恩讐を超えた人々の・・・父の部下だった若者や親しかった朝鮮人家族・・・のお陰で、政治の範疇を超えたお世話があって叶ったものなのだから・・・これ以上「欲」を出すなと・・・勿論、家族・親族の遺骨がなかったのではあるが・・・。親しい友人や、その友人の家族の何人かは、かの地に眠っている・・・父は、霊魂は、生きている人の傍にいるものだ・・・その思いが強ければ・・・と語り、俺の霊も、お前の傍を離れることはない・・・これは、脅しであったか?

「戦争の記憶」が、戦争の歴史になる・・・個々の悲劇を語るより、己の考える・学習する悲劇の向こう側に、もっと悲惨な悲劇が存在し、彼等に、彼等の運命を変える余地が、極めて少なかったことに、思いを致すべきであろう。
元寇の歴史を、中国・蒙古・あるいは高句麗への恨みとする人はいないだろう。歴史なのである。しかし、そこに存在した、国家間の軋轢、外交の在り方、双方の国家が何を望み、何を得ようとしたのか・・・その要因は、近代化の進んで現在にも完全に共通するものである。FTAしかり、TPP然り、浜矩子氏の言う、TPPが「戦争の危機」を孕むという警告も、如何なる形であったか、色々研究の余地はあるだろうが、交易の在り方に、片や怯え、片や武力を誇ろうとしたのか・・・あるは、本来平和裏に行われる余地があったのか・・・どんな誤解があったのか・・・まだまだ、今日に「問い」を残しているのではないか。

私は、遺族会が、自分達の犠牲だけを言いたてたとは思いたくない。戦後に、中国の砂漠に植樹をし、中国からの留学生のお世話をしたかたの話も多く聞く。おそらく、メディアが取り上げるには、数が多すぎるのだろうと忖度する。多くの「手記」も残されることだろう・・・広島の図書館には、原爆・被爆の体験を綴った手記が「ご万」と保管されているとか。また、東北・山陰の、嘗ての農村地帯の町の図書館には、農村の「嫁」として辛酸をなめた「農村・女性歌人」の歌が、膨大に残されているとか・・・私達が、それらの歴史に囲まれ、歴史の支えられて、今日の「平安・・・この程度であっても」を得ていること・・・遺族会の解散に際して、思い起こす時間をすごすのも、強ち無駄なことではあるまい。