ネット犯罪・誤認逮捕に思う

誤認逮捕で、就職活動に支障が生じているのだとか・・・犯罪が巧妙になれば、誤認逮捕も避けられなくなる。「運が悪かった・・・」と、片付けるのも、諦めさせるのも良くないと私は考える・・・当たり前だと仰る声が聞こえてくるが、しかし、新たな手口の犯罪には、往々にして、被害者は永久に被害者であり、加害者は、可なりの期間、加害者であり続ける。その実例が「おれおれ詐欺」。百億円近い被害が、今日でも増え続けているそうだが、やはり、それでも、被害者が、無一文になって自殺したとか、生活が困窮に追い込まれた・・・昨日の億万長者が、今日は乞食に身を落とす様な・・・とかは聞かない。また、詐欺に遭遇したかたが、それ程、悲嘆にくれる様子はTVにはない。

結局、高齢者の貯蓄が、幾ばくか減少しただけか・・・と、私は受け止めているが・・・見当違いなのだろうか・・・諸兄の見解も聞かせて欲しいものである。「オレオレ詐欺」で、誤認逮捕が出ないのも、銀行が、その面子に掛けて、顧客を大事にしていることもあるだろう・・・つまり、その損害を全額、あるいは可なりの部分を負担しているのかも知れない・・・間違った判断かもしれないが、犯罪が減らない現実に、そう思わざるを得ない。

今回は、警察の強引な逮捕、追究が・・・冤罪の一歩手前まで行ってしまったのだろうが、誤逮捕される側に、疑われる要因はなかったか・・・これは、社会人の側が、心がける問題であろう。時々、冤罪が起る・・・しかし、その冤罪者にメディアの同情がニュアンスとしてあるが、冤罪に貶められた側には、以外と同情が集まらないのだとか・・・逮捕、そして結審した時に、地域の人々が疑わない・・・冤罪が惹起する原因にもなるのだろう。

今回も、日頃からパソコンやゲームに親しんでいた学生や、比較的若い人々が狙われたのではないか。言葉を選ぶのが難しいのだが・・・事務所の中で、机の鍵や、滅多に開かない棚の鍵が行方不明になり、その時に「力」を発揮する方が、一人や二人は必ずいる。しかし、本物の泥棒が侵入したり、物が無くなったりすると、一番先に疑われるのが、彼らである・・・私の周りでも、何度か体験した。大きな声を出す人はいなかったが、それだけに、「こそこそ・・・」と、囁きが聞こえて、気持ちのいいものではなかった。冤罪の恐ろしさである。冤罪とは、環境が作りだすもの・・・私は、そう思う。

まだ、先日逮捕された若者が、真犯人か、否か・・・判断は難しい。犯罪の立証が難しくなるのも、社会の発展の証である。そして、誰でも、犯罪者になることが出来、犯罪者にさせられるのも・・・。
私は、ケイタイもパソコン(メール)も、「着信拒否」の機能を使っているのだが・・・それで万全か、否か、自信はない・・・時々、不意のメールを寄こす、昔の知人から苦情が入る・・・いきなりメールを送る方が不躾だと思うのだが、送る方は、便利なだけが、文明だと主張する。だから、私は、その様なメールには「はがき」で、応酬する。

家にしろ、パソコンにしろ、はたまたケイタイにしろ、「門」を閉ざさない不用心は、犯罪への幇助でもあるのではないだろうか・・・役に立つか、立たないか・・・とにかく、門に閂だけはしておこう・・・馬鹿と云われようとも・・・。