労働組合の消える日・・・

NHKが、給与ベースを10%上げるという、今朝の新聞記事。また、財界に、「賃上げ」の圧力と報じる記事もある。しかし、労働組合の、「賃上げ闘争」に構える姿の報道はない・・・まるで、無関心な様子が感じられる。
毎年、春になれば「春闘」、そしてメーデーには「賃上げ」のプラカードが賑やかだったメーデー・・・懐かしい。鉄鋼の、製造現場の三交代技術員・・・別称;監督員・・・をしていて、労組のパンフレットや教宣活動、加えて、労働部・・・守衛が情報源・・・から漏れて来る〜実は、現場の雰囲気を感知するセンサーが「守衛」の重要な業務・・・その守衛との対話の中で、組合が本気でストをやるか、否、口ばかりか・・・が、先ず判断出来る。
そして、ストが確実な状態になると、やたらと生産量が増える・・・つまり、当時の鉄鋼の販売先は、公共事業だから、全て注文・計画生産・・・商品の遅滞は許されない。45分の「飯の時間」も惜しんで生産に励む・・・その段取りが、私の様な三交代・監督の手腕である。ストが、殆ど掛け声だけで終わる時は、現場は全く静か・・・要するに、スト期間の行事〜旅をしたり、登山をしたり、故郷に顔をだしたり・・・私的な予定が可能になる。

賃上げの有無も、また、その幅も・・・およそ、労使で合意ができてから、労使の交渉が始まる・・・現場に近い労組の役員が語っていた。あとは、労使で、どの様に格好を付けるか・・・実は、賃上げ交渉が行われている間は、特定の料亭は、殆ど一般の客は断り・・・座敷の予約が取れない・・・そんな話も聞いていた。「建前」と「本音」と言うが、殆ど「建前」で世の中は動いていることを知った、私の20歳代だった。結局、高度経済成長に入れば、労組に用事はない・・・元気だったのは、給与が確保される公務員、教師の組合だけが、政治闘争に明け暮れする実体だけが残った。
そんな事に無関心に、「順法闘争」を繰り返していた「国鉄」が、民営化されるに、世間の抵抗が全くなかった所以でもある。現役時代の私も、もろ手を挙げて快哉を叫んだものである。恐らく、郵政民営化も、一般的には、同じ「轍」にある・・・と、私は考えている。

未だに、郵政民営化に批判的な政党があるが・・・実は、誰も彼等を認めているのではない。その地域に、適当な「保守政治家」が居ないから、僅かに辛うじて命脈を保っているだけである。まさに、郵政民営化への批判は、「ごまめの歯ぎしり」でしかない。

私の団地は、昭和30年代の末に出来たのだが・・・昭和46年に行われた町議会選挙で、地域の候補が落選して悔しい思いをしたことがある。原因は、既に凋落の途にあって、労組が応援に乗り出したがために落選したのは明らか・・・候補者は人格者だったのだが、その故に、労組の中には知人がおおかった。しかし、その彼等の政治的感覚は、もう古いものだった。町の中を、赤旗を靡かせて教宣車を走らせる・・・赤旗を靡かせて・・・他の候補者が喜んだのは言うまでもない・・・私の元にも、忠告やお叱りの電話がしかり・・・労組からの応援に注意を促せば促す程、彼等ははりきってしまう・・・結果は悲惨だった。地域の運動員の一人が、悲しそうにうめいた・・・「教養のない奴は始末に負えない!」と。

赤旗が姿を消し、訳の分からないデモが姿を消し、シュプレヒコールが聞こえなくなり、汚れた(わざと)服装の男達の政治活動が見えなくなった・・・街は綺麗になった・・・・と、私は思う。
労組がなくても、ストをしなくても、賃金が上がる時代が来たのかな・・・だとしたら、嬉しい限りである。これも、西欧の残滓が齎した、悪しき文化だったのだから・・・・