暴力主義の建国・・・

大河ドラマ平清盛は、演出が汚いので、殆ど視聴しなかったが、平家滅亡の裏に、西日本の災害・飢饉が、清盛の「貨幣経済」への離陸の失敗があったことだけは、浜矩子教授の著書を参考にしながら、僅かではあるが、納得できた。そして・・・・、今年の「八重の桜」である・・・

是は、戊辰戦争後のストーリーの展開に期待がある。西郷が、何故会津を攻略しなければならなかったのか・・・明確な答えをドラマに期待するのは無理な相談かもしれないが、従来の「西郷隆盛」・偉人説を踏襲するのか、単なる暴力主義者として表現するのか・・・先ずは、その辺りが見どころだろう。さしあたっては、「朝廷」と云うものの「鵺(ぬえ)」の様な存在が、面白い。特段に、「天皇批判」をしようというのではない。御所・京都を護る為に、わざわざ会津から呼び寄せた「容保」を、その最終段階・・・戦闘の必要も無くなった・・・で、撃たなければならなかったのか・・・ドラマの演出が教えてくれるだろうか・・・その楽しみは、ドラマ前半の楽しみである。

庄内藩は、江戸薩摩邸を焼き打ちしてくれた功績を西郷が評価した・・・西郷が「恨み」を「感謝」にすげ替えた・・・自らの、庄内藩・戦後処理の功を誇りたかったのであろう。西南戦争では、元・庄内藩藩士が多数参加していると言う。また、「西郷遺訓・・・」という、冊子まで編纂して、西郷を称えている。何とも、不思議な歴史ではある。
一方・会津は・・・この城を攻略せずして、落城刺せずして、戊辰戦争の「目玉」はない。熊本城も姫路城も、はたまた大阪城も健在のままに、況や、江戸城は、勝海舟の策略に乗せられて、無血落城になった・・・本来なら喜ぶべきが、武骨一辺倒の西郷にしてみれば、情けないはなしであったろう。「何として、会津城は焼き払わなければ・・・との意志は固かったに違いない。この城が、頑張った故に、五稜郭戦争も惹起したのだから・・・。この戦争の戦果は、新撰組・副隊長の遺骸のみだったと言って過言ではない。その為の闘いだったのである。もし彼が、囚われとなり、斬首されれば、榎本武揚の首もあぶなかっただろう・・・歴史は変わっていたはず・・・西郷を責めるものとして・・・。

結局、西郷の戊辰戦争は、維新後のこの国の、国づくり、国民つくりに大きな影響・・・隘路・・・を生じせしめ、今日の、教育現場、スポーツ界の「暴力環境」を生れしめているのだと、私は思う。

維新政府の最初の仕事は、「国民」作りだった。天皇の存在など知らなかった大衆である。天皇を「神」と祭り上げ、「国民=天皇の赤子」との等式を、大衆の心に植え付け、国民を誕生せしめた。その為には、各藩の藩士を消滅させなければ、不可能だった故の「西南戦争」だった。西郷の周辺には、幾多の士族反乱・騒乱が生じていたにも関わらず、西郷は、何れにも加担しなかった・・・士族を滅びるものとしていたのである。故に、己の教え子の「血」を持って、最後の奉公としたのである。

教育現場、スポーツ鍛錬の現場の暴力は、「愛の鞭」と呼ばれ、その暴力は、暴力を受ける側が、問答無用で有りがたいものとして受け入れなければならない・・・それは、天皇の赤子としての義務であり、責任でもあったのだから・・・。日本の軍隊、とりわけの陸軍のリンチにもにた「シゴキ」は、今日的判断では、とても教育、育成とは考えられないが、6000万人・日本人が、疑うことも許されずに受け入れていたのである。それでも、兵士は国の為に闘った・・・と、第二国民兵の父は語ったが、身の危険(兵士の復讐)を感じた指揮官は、真先に塹壕を飛び出したものだ・・・と、多少揶揄的に語っていた。

システムとしての国家が存在するところ、説明で全てが処理され、運営され、関与した全てが納得するものではない。不満は不満として、捲土重来のチャンスが与えられるべきだし、正論も反論も、次のステップに期待するものを持つ事が許させれるべきなのである。「暴力」とは、現状固定の思想であり、明日は今日であり、今日は昨日であり・・・そこに「進歩」があってはならないし、その進歩を主張してはならない・・・つまり、奴隷的にだけ存在が許されるもの・・・維新から、百年足らず・・・未熟なこの国に、暴力だけが成長していた・・・オリムピックとは、その促進剤だった。そこに、先の高校生が、自らの命を賭して「異」と唱えた・・・そして、やっと、それに気が付く大人が、姿を見せる環境が生れた・・・これからである。

まだ、成長過程の日本・・・この国は、未だ普請中なのである。そして、「滅びる・・・」という、漱石の予言を実現させてはならない。漱石をして、名をなさしめてはならないのである。
元・日本バレー監督の松平氏は・・・スポーツマンに「教養」を欠いては強くならないと喝破している。先日の民放・某局のゲストで、教育評論家の尾木しは、「要は“教養”の問題である!」と、暴力擁護的発言を切って捨てた・・・この覚悟が、次の百年、二百年の日本に求められるのだろう。希望はある!