東日本大震災の復興とは・・・

東日本大震災から2年が経過した・・・復興の遅れがTVに新聞に騒がれているが、遅れているのではなくて、津波の恐怖の去りやらぬ状況に生れた「気分」・・・つまり、もう、あってはならない・津波の被害・犠牲・・・が、その根底にあって、遠くにあって見守る我々には、その目指している「目標・計画」も、はたまた「幻影・幻想」すら見えて来ない。つまり、被災当時の被災者の気分が、早急な復旧・回復の機運を殺いだまま、具体的なイメージもプランも見えないもどかしさがある。

曽野綾子も、何処かに書いていたと思うが、戦後の焼け跡を復興した、あのエネルギーは何処に行ってしまったのが、どうして消滅したのか・・・日本人の気力は?・・・と、気分すらもが薄らいでしまったのではないか・・・私も、ともすると、そんな気分になる。
しかし、そんな復興であってはならない・・・もう二度と繰り返してはならない災害である・・・との覚悟はまだ希薄化はしていないのだろうと、私は、東北の人々の心情を察したい。たまたま、「コンクリートから人へ・・・」をスローガンとする政権が誕生したのも悲劇に拍車を懸けた・・・多少の違法・復興に制約を掛けながら、復興できるものから復興せよ・・・!・・・との訒小平方式もあって良かったのかも知れない・・・とも、思う。極めて悪評だったが、松本竜のあの悪口にも真実があったのだと、今に思わざるを得ない・・・懐かしいフレーズではある。

「根性の一本松」はレプリカで復活・・・これが、人々の気持ちに変化を齎すかもしれないと、ある種の期待を感じる。しかし、破壊された公共施設の残骸を残すのか、撤去するのか・・・今世紀になってから三度目の津波被害だと言う。祖先の警告を聴かないままに、あるいは無視して、街を拡大した結果が、今回の悲劇だったことを、忘れたてはならないだろう。「碑文」はあった。「碑文」は読んだ。しかし、其処から何も学ばなかった・・・欲望のままに、年月を、世代を繋いで生きて来た・・・その愚を繰り返すのか・・・復興を議論する時の理念として生きているのか・・・そろそろ「喉元」を過ぎる「羮」になっているのだとしたら、後世から、怠け者の軽蔑はさけられないだろう。

国土の狭いこの列島である。元の屋敷、庭が復元可能か・・・殆ど不可能だろう。それよりも、レベルの高い「集合住宅・・・メゾンであれ、マンションであれ、キャッスルであれ・・・」を志向すべきであろう。そして、庭は・・・津波の痕跡が残る現状を後世に伝える様な公園として整備すれば、それを毎日見下ろす「視線」も生きて来るというものだろうと思う。

故郷恋し・・・それは、半ばは幻想である。好きな環境だから、住み続けたい・・・の気持ちがあれば、何もかも「復元」の思想とは決別かのうだろう・・・さすれば、復興に拍車が掛かる・・・と、いうものである。経験は大事にしなければならない。過去には学ばねばならない。しかし、固執することは禁物である。恐らく、縄文の住居にノスタルジーを感じたころもあったに違いない。文明は、いつかは破壊される、その時、新しい文明が姿を露わす・・・理念と思想を伴って!