東日本大震災追悼式・・・中韓の不参加・・・

東日本大震災追悼式に、韓国、中国が欠席・・・韓国は、手続き上のミス・・・と言う事だが、単なる言い訳だろう。大統領の意思とは別に、支持政党、あるいが業界、世論を忖度した上での「欠席」だったのだと、私は思う。韓国は、一先ず民主主義の国・・・中国の共産党王朝とは異なる・・・ではあるが、それだけに、少数の常識的世論が無視される・・・いや、逆に、感情的。且つ過激な行動に走る先鋭的な勢力・・・決して多数ではないのだが・・・を無視することの危うさを慮って中止を決めたのだろう。
中国は、明らかに、軍部の要求に政府が屈した・・・つまり、軍部は共産党の配下にあり、政府の発言が封じられた結果であろう。習近平も、日本の天皇陛下には謁見している・・・是が、中国の政治家にとっては、大きな「伯」を付けることになるのだそうだ・・・ので、もう日本への懸念はない。もし彼が、小沢一郎の強引な手引きがなくて、天皇に謁見できていなかったら、頂上へのレースの勝者になっていたか、否か・・・怪しいものである。

習近平の次を狙う「誰か・・・」が、天皇への謁見を画策した時、今度は誰が手引きをするのか・・・?

さて・・・追悼式典。国家の資格を求めるのがそもそも不健康である。むしろ「個人」としての参加を、必要であれば、呼び掛けるべきであろう・・・今後の「追悼式典」への問題として研究してほしいものだ。死者の霊を利用して、現ざんする「軋轢」を緩和・解消しようと言う魂胆が卑しい。生身の人間の問題は、生身の人間が努力すべきだろう。
大震災直後の救援は、それなりの名分もあるから、拒否するべきでもないし、無関心を装うことは、これは国家の威信に関わる・・・だから、意志の決定は国家であろう。しかし、死者は、無国籍の「人」として、我々の心に居着くものであろう・・・私は思う。

但し、その霊に、例えば復讐を誓う等と言うことは、生身の人間のことであって、死者を現世に引き戻す様なことは厳に慎むべきであろう。震災直後の支援は、生身の人間への支援であり、被災者(死者)への追悼は、また別の感情・・・とも言えるだろう。我々としても、その両方を求めることは「欲」の極みにもなるものかもしれない。ここは、あたら、相手を批難することは止めた方が叡智というものだろう。

寧ろ、北朝鮮のミサイル・核が、日本に向けられた時、韓国が北朝鮮を支援する可能性を考えておくべきではないか・・・アメリカも、そのジレンマに、あるいは苦しんでいるのではないか。オスプレイに対する過剰な反応、あるいは日米同盟関係への「冷水」等々・・・日米安全保障条約に対する相も変わらない嫌悪・・・私は、軽率な、左翼的政治評論家、社会学者、政治学者と政治家・・・それに便乗する、著名文学者、女性・老人団体の存在を憂うものである。今回の追悼式典への参加の拒否(私は、そう理解する)は、中韓の共同行動だと理解すべきだと、私は思う。