生活保護・不正受給を考える・・・

「幸せな家庭は、同じ様に幸せだが、貧しい(不幸せ)家庭は、夫々違って貧しい・・・」。
アンナカレーニナの冒頭の一節だが・・・だから、政府・行政の「手」が届き難い・・・だからと言って「貧しさ」に応じた経済的支援は困難・・・結局、一律的な支援になるのだが、それが、個人の生活保護への依存度を深めてもいると言う。

酒も飲めない・・・お茶も飲めないと言う御仁はいないようだが・・・パチンコも楽しめない、最近は、高齢者から、ゴルフにも行けない・・・誘われても・・・あるいは、ご婦人に多いのが、旅行にも行けない、海外旅行も出来ない・・・これ等も、立派な「被差別意識」であろう。生活保護費の不正受給者の中にも、数十パーセントは存在するのではないか・・・。トルストイが聞いたから、吃驚して腰をぬかすか・・・「さもあらん!」と、皮肉っぽく笑顔を見せるか?

しかし、経済的支援で、幾分なりとも緩和し、再挑戦の機会に期待するのが、「生活保護」である。家族の場合、親に期待出来なくても、その子供には期待が掛かる・・・しかし、時に貧乏根性が、あたら犯罪に走らせる・・・その一つが「不正受給」である。ある街の議会は「パチンコの賭博制限」にも踏み切った。しかし、顔見知りの識別以上の事は不可能だろう・・・勿論システム的に不可能ではないだろうが、「1984年・ジョージ・オーエル」の世界になる、好ましいことではない。しかし、当人には小さな心得違いが、窮屈な世間を生みだす原因になる・・・と、言う警告にはなるだろう。

結果的に可愛そうなのは「子ども」なのだが、生活保護世襲になってしまうと、殆ど、生活保護世襲家系になってしまう。引揚者家族の我家も、母が、ニコヨンに出て、「ようとまけ」の綱を引いていた。学校帰りに、その母の傍で、家でするべき家事の指示を受けていた日々が懐かしい。丸山明宏の歌う「よいとまけの歌」の歌詞の様な、気持ちになったことは一度もない。友達も同じだった。生活保護を貰う・・・制度して存在したのか、否かは定かではないが・・・・気持ちなどさらさらなかったと思うし、そんな母親の姿を誇らしく思う。「貧しさから抜け出す・・・」・・・家族の暗黙のモットーだったと思う。あるいは、豊かだった頃の「誇り」の裏側にある「見栄」だったかも知れないのだが・・・「後ろ指をさされるな!」との気持ちの強い家族ではあった。だから、人並の生活が出来る様になった時、短い、一時的な過去から遁れる様に「町」を離れ、現在がある。そして、夫々に「貧しかった」からこそ、何とか抜け出せたのだと、今に思う。「後ろ指を刺されるな!」とは、この民族の「倫理」の原点であったと、私は思うのだが、倫理、リンリ・・・と、叫ぶ倫理的人間の集団に依って絶滅させられた・・・多少社会主義者的なmoodを持っていた、高校時代の恩師の言葉が蘇える・・・短かったが、就職氷河期に遭遇した我々への餞別の言葉だったと、今に感謝している。出会うべきは、強い意志を持った親であり、倫理観を身体に埋め込んでくれる教師ではある。

江戸時代、火盗改めの長谷川平蔵は、「人足寄場」の創設を建策した。軽犯罪の犯罪者の厚生だけでなく、手に職のない、貧しい町民なども対象になっていたと言う。戦後の「ニコヨン」も、この歴史的事例を倣ったものではないのか・・・そんな論文を読んだことはないが・・・。
一つの仕事が「単独」で存在するはずはない。利益を考えれば、その合理性も求められるだろうが、働く場として考えれば、色々な職種に、色々な挑戦を与える場になる筈である。そこから、自立の可能性も生れるだろうし、働く場への順応も可能になるだろう。生活保護を貰った日と翌日は、酒盛りの日になるよりは余程効果的なのではないか・・・

3k、5K、7K・・・貧しいから・・・との理由で、そんな仕事をさせよ!・・・と言うのは人道に悖ることではあろうが、手に技術なく、教養的な知識に不足し、あるいは、視聴覚に不自由があり、十分な体力がなくても、働く意思があれば、仕事が与えられる・・・現代的な人足寄場・・・言葉は適当ではないが・・・的なインフラを準備して、それでも、生活保護を必要とする人々には、密に寄り添いながら、お世話の可能な、生活保護家族支援のシステムを構築出来ないものか・・・不正が、容易に可能な支援システム(現・生活保護等)・・・それは、人間性の失墜の道具にしかならないのではないか・・・。