今朝のニュースから・食事・・・

情報源は、けさの“みのもんた”・・・1960年、1975年、2005年の食事による、鼠の実験。

夫々の当時のメニューを再現して・・・もちろん、代表的と考えられるもの・・・それを実験マウスに食べさせて、種々のデータを比較したもの・・・。献立をメモできなかったので、概要を記す。
最良値は・・・1975年の食事、次いで1960年の食事、そして最悪が2005年の食事。

何故、2005年が最悪か・・・魚が少ない、結果として野菜も少ない、偏りもあるのだろう。肉が中心になる食事なので、脂肪が多くなる。実験マウスの寿命も、最も短かったそうである。実験者のコメント・・・長寿社会も、終焉に近いのだろう。
次いで、1960年・・・欧米食が定着し始めた頃ではあるが、食事の中心は「米」。そして米飯を多食するために、お惣菜の塩分が多かった。成人病に加えて、欧米化の走りで、高血圧等の成人病に、脳梗塞等の血管病が増えはじめた頃だったのではないか・・・私見。また、外食が増えたことで、やはり塩分が増えていたのだろう・・・勿論、塩分についての無関心もあったのだろう。私が、高血圧を宣告されるのが、この10年後。母が、三日間、鼻血が止まらず死線をさまよったのが、丁度、この頃だった。
そして1975年・・・個食が増えた時代。そして、個食が「パン食」に拍車を懸けた。個食ならずとも、朝食は手軽にパンで済ませる家庭が増えていたのではないか・・・勿論、ハイカラ志向もあったとは思うが、パン食も、個食も、お惣菜が極端に少なくなる。そして、お惣菜の品が限られ・・・例えば、パン食に刺身が似会わない様に・・・且つ、魚が殆ど完全に姿を消す。魚を挟んだサンドイッチなどは考え難いだろう・・・余程の好きものでもない限り。

我が女房の曰く・・・小さな可愛い食器を買う・・・頻繁に買い替える・・・のも、無駄な様で、結構な健康管理なのだそうである。日本の初期は、そのデザインをする人が、あるいは“焼く”職人が、日本食をイメージしてデザインを考えるので、食事の内容にも影響を与えるのだそうだ・・・多少、我田引水的な匂いがしないでもないが、贅沢ではなくても、日々変化があり、バランスの取れた、日に三度の食事をきちんと用意してくれる女房殿の論に反論するものはない。夫婦に共通しているのは、「外食」に殆ど憧れないことだろうか・・・贔屓にしているお店がないものでもないが、滅多に外出しないから・・・夫婦で・・・外食の頻度も少なくない。

私自身は、引揚者の貧困の中で、母が「米ご飯」と呼んでいた、雑草の様な野菜に、南瓜の花を添え、僅かな米を混入した食事に数年間を慣らした経験があり、引揚者特別配給の「メリケン粉」に、茹でた芋を練り込んだ弁当に馴染んだ・・・クラスメイトの物笑いにはなったが・・・人間だから、食事には一切の不満を云わない、否、不満を口走ることは犯罪だと思っている人間である。一度、すし屋で、「美味しいですか?」と聞かれて・・・「不味いのも味の内」と答えてひと騒動したことがある・・友人からは厳しく叱責されたが・・・。最後の台詞は、「客に、いちいち味を聞くな!」と捨て台詞・・・。

鬼平犯科帳で、鬼平(先代・松本幸四郎、今・中村吉右衛門)が、出された料理を必ず褒めるシーンが好きだ・・・他人が精魂込めてつくった料理を、美味しく味わう感性こそが、人格だと考える私である。
TVのコマーシャルに、「美味しい!」を連発して稼ぐ、少々脳の軽い馬鹿タレントの口クルマに乗せられて、〜ツアーに駆けまわる愚かしさ・・・これこそが、日本の医療費の高騰を招いているのではないか・・・そろそろ政治問題化を考える時期かも知れない・・・と、思う。