盗まれた仏像・・・仏像の嘆きは・・・・

一衣帯水の隣国だから、空港の出国検査も荷物検査も甘かったのだろう・・・しかし、その前に窃盗犯を逮捕しておくべきだった。せめて、防犯camera設置されていれば、犯人逮捕も容易だったのだろうが、この国の住民の、妙な正義感は、防犯カメラを嫌う・・・自らが犯罪者であるが如くに・・・その隙に乗じた、仏像・窃盗だったのだと、私は思う。

韓国が・・・あるいは北朝鮮が「儒教」を是とする国家である・・・親が死ねば、三年の喪に服する・・・との、我々の古式豊かな常識の裏を掻かれて、まんまと仏像を盗まれ、韓国のお寺に収められた。盗人にも三分の理・・・仏教者が、その窃盗の肩棒を担ぎ、近代的に犯罪者を裁く司法が支える。儒教は、民族のエトスとしては残っていないらしい。

本来的な習性は・・・・泥棒・窃盗を見咎められ、逮捕されても、「盗まれるお前が悪い・・・」と、開き直る民族である・・・とは、朝鮮半島に、15歳から35歳まで過した父の、朝鮮人評だった。しかし、部下の朝鮮人の若者はこよなく愛していたし、可愛がっていた・・・殆どフリーパスで、我が屋敷を闊歩していたが、一度たりとも、物が失せた話は、聞いていない。それどころか、空襲を避けて、朝鮮人農家に預けていた、母の高価な着物類は、最後まで、一枚も姿を消すことはなかった・・・脱出の闇船の手配が可能にしたと、母も父も感謝していた。

恐らく、自らの歴史、現国家の依って来る歴史を学ぶこと無く、「憎悪」だけを募らせて現在という時間に生きようとする・・・憎悪をエネルギーにして・・・民族の恥部であり、悲劇であり、悲鳴でもあるのだろう。恐らく、日本に学び、日本をこよなく愛した「パクヒョンヒ」大統領の望む「韓国」として、韓国が存在しているのか・・・西郷隆盛征韓論に始まり、日韓併合にいたる歴史を自慢する日本人は、私の周りには一人もいない。国交回復に関する条約の一つも、日本人は反対していないし、数億ドルの経済援助・・・実体は賠償・・・に、異を唱える日本人も、一部の左翼を覗いては存在しなかったと、私は信じている。我々・・・私・・・は、韓国と共に生きる・・・この覚悟に、私の迷いはない。

その意味で、今回の事件で、朝鮮人・韓国人を、低劣な国民として評価する心算は無い。しかし、統治のsystemが腐っているのではないか・・・との危惧は隠し得ない。恐らく、日韓併合の瑕疵は、千年、二千年・・・いや、永久に、韓国人の心にDNAとして残るだろう。それは、その時代を生きる日本人の為・・・戒めとして・・・でもある。「縮みの文化」と「恨の文化」・・・しかし、その「恨」の由来は、中国大陸の歴代王朝に対するものである・・・と、私は確認しておきたい。

この仏像が、どんな経緯で、日本のお寺に存在する様になったのか・・・その由来を明らかにするのは、難しいことだろう。仏像は、両国の信者から思われることで満足なのだろうと想像するが、お互いに血を流すことは望まないのではないか。フランスとスペインの国境・・・ピレネーの山中の小さな村では、各年毎に、村の帰属が変わる・・・数世紀に亘る約束の履行なのであるという。ミッテランが、その報酬を受け取るために訪問して話題になった。世界には、その様にして、平和を維持する知恵のある民族・国家も存在するのである。お互いに利口になりたいものだ・・・。