中国・新政権の汚職追放とは・・・池に映る「月」は取れない・・・

宦官と賄賂・汚職の発祥地・・・歴代王朝が、その権利を巡って交代する・・・これを「易姓革命」という。つまり、賄賂・汚職は、政治の手法の一つであり、政権にあるものの「特権」でもあった。「科挙」と言う、人材登用の妙案すらもが、その登用された人材が巧妙に編みだす、汚職の技術・手法で、合理化され、改造(汚職の進歩)され、近代化され・・・現在の東アジアの文化として存在している。

勿論、日本も例外ではない。韓国、中国との違いは、日本には、「易姓革命」という手法。もしくは理念は存在しない。世襲汚職で、継続の可能性を残す・・・これは否定できないが、大凡「三代」で、是正・・・実力を付けた子孫が正常化する・・・されるか、家族・家系全体が没落するか・・・少なくとも、政治の世界から姿を消す。時々、汚職、不祥事を起こした官僚や有名人の中に、祖先・・・と、言っても、せいぜい三代、四代前なのだが・・・が、明治維新の元勲であったり、立役者であったり、日清日露戦役の功労者であったり、武勲者であったりする・・・横井小南や坂本竜馬が、アメリカの大統領が、初代大統領の子孫ではない事に驚くシーンが、色々なドラマで再現されるが・・・もうすぐ「八重の桜」に登場する、新島譲もその一人・・・

戦後に、天皇制を残したアメリカ等の占領政策に、この日本人、もしくは日本の統治のエトスに、この公正性の存在が活かされた・・・この経験は、我々には大きな、歴史的体験だったと、私は評価する。高度経済成長から、田中角栄まで、幾多の汚職がメディア紙上を賑わせたが、永続するものはなかったし、当の彼らが、城を構えるて、酒池肉林の繁栄をすることはなかった。鳩山由紀夫の「お小遣い」が問題になっても、これは美しい「母親馬鹿」の具現でしかない。

毛択東も、周恩来も・・・その後の、当時の側近たちの語るストーリーでは「清貧」であったことが伺える。彼等の、今日を生みだした失敗と言えば、「中南海」を温存したことだろう。つまり、「帝を御簾」に隠して、日常の生活が全く国民の目に触れないことから、国民の政治性を停滞させ、それが、特権階級の傲慢を助長し、賄賂・汚職を生みだす、雑菌の温床になっているのである。つまり、宮廷政治が行われている・・・アラブの春で暴露された、専制政治頭目の中国版となっている。

言論の自由の抑圧も、この「中南海」を護る為の手段であり、報道の自由の制限も、抑圧も、この政治幹部の日常を、国民の目から隠すためである。
韓流時代劇ドラマで、時々、妃が、その資格を失う・・・つまり「排妃」される。排妃された、元・王妃はどうなるか・・・一生涯、宮殿から出られない・・・応分の処遇は受けるが、全てが監視の元に置かれ、完全に自由を奪われる・・・それが天安門広場事件で粛清された「趙紫陽」である。恐らく、その死すらもが、国民には知らされないのではないか・・・

韓国では、歴代の大統領が、その離職後に「罪」を問われる。時に「死刑」の判決を下されることもある。そして、「自殺」する、元・大統領すらある。「儒教」とは何ぞや・・・我々が相まみえる「漢字」の世界の奇異なのである。前大統領の名前が、犯罪者としては聞こえて来ない。北朝鮮が、彼を護る為に、直近の緊張を生みだしているのではないだろうが・・・。日本に敵対した功績が評価されているのだろうか・・・。韓国の未来に、霞みが掛かってくるのだが・・・。

中国の汚職追放・・・池に映る「月」を欲しがる幼児の姿が髣髴とする。仕上げをごろうじ・・・と言う所だが・・・その中国に、若い政治家を引き連れて、中国要人のご機嫌伺いをして悦にいる政治家が、日本にも存在することを忘れてはならない。一衣帯水・・・そんな所まで一緒にされたくはない。儒教科挙も・・・大工道具でしかない。自由へのインセンティブ、平等へのモチベーション・・・そんな「漢語」は、歴史的に存在していないのだろう・・・この国には・・・。