無気力の暴走・・・・民主党の反省とは?

昨日、東京TVに出演した「民主党細野豪志」が、「自民党の暴走を止める・・・」と言う台詞を繰り返していた。民主党が、何故、あの様な貧弱・粗末な分裂を繰り返したのか・・・例えば、「ガソリン税」を巡る、小沢一郎一派の造反等・・・結局、政党が政党としての「力」を持ち得なかった為ではなかったのか。あるいは、「民主党」と言う「錦の御旗」を担いでいれば、国民の支持は得られる・・・という甘い読みが、一人一人の気持ちの中にあって、その御旗が「民主党」という、己が帰属する政党であることを忘却させていたのではないか・・・戦後民主主義の最終段階で、国民が、あるいは大衆が学ぶべきは、政党の隠し味を見極めることであった。時代は、そんな「質」を国民に、大衆にも要求していた・・・勿論、自民党も、幸いに、「敗戦」で、そのことを学んだのではあるが・・・・

結局、選挙に勝利してみれば、目の前にあると思っていた「壁」が無くなっていた。取り除く「壁」、乗り越える「壁」・・・しかし、「壁」とは、己の思想・理念が、世情と乖離した所に存在するものであってみれば、己に、思想も理念も存在していなければ、「壁」が存在するはずもない。見はるかす、彼方に伸びた「道」のスタートに立って途方に暮れていた。小沢一郎のみは、粗雑な「公約・マニフェスト」の持つ、荒っぽさ、粗末さに気が付き、修正しようとした。しかし、勝利に酔った、有象無象の党員達には、話は通じなかった・・・結局、鳩山が退き、菅が退き、野田で、何とか政党の面目を保った。そして、選挙に大敗・・・しかし、獲得・票は僅差に近いので、未だに選挙に負けた感覚にはなっていない。議員数で「大差」が生じたのは、「選挙の方法」が不味いのだ・・・と、「選挙法」の所為にして、自民党も、次の選挙で大敗しない為の準備としての「選挙法」の改正に応じている。

一票でも負ければ、負けは負けなのである。勝ち過ぎない様に、第二党に「票」を恵む・・・私は邪道だと思う。ルールが悪いから負けた・・・そんな台詞があるのか・・・憤懣に耐えない。
選挙は、自らの主張を、如何に得票に結びつけるか・・・戦闘の技術である。第二党に、第三党に発言が許されない政治システム・・・・中国の様な・・・なら、権力を取り戻すには、暴力しかない。しかし、民主主義とは、臥薪嘗胆・・・次の勝利の為に、政府に論戦を挑むこともできるし、それを報道するメディアもある我国である。また、抵抗勢力足る第二党、第三党の論戦が、第一答の政策を変更させることもあるし、次の選挙への「傷」を与えることも可能である。

多数を制した政党の政策を・・・第二党の政策と一致しないからといって、その政策、施策を暴走とするのは、少々、愚かな発言ではある。

民主党の3年・・・「何もしない・暴走」の3年だったのではないか・・・舌の先が乾く前の政策変更・・・マニフェスト自身が、余りにも、迎合的、拙速に過ぎたのではなかったか・・・多数が、民主主義であり、その存在を認めるのが民主主義である・・・まだまだ、学びが足らない・・・昨日の発言に思ったことだった。