一票の格差とは・・・違憲判決を楽しむな・・・!

一票の格差・・・違憲状態・・・の裁判の判決が続く。私的には、世間を混乱させて、それが面白いのか・・・と云いたいのだが、許される発言ではないだろう。しかし、各裁判官が、世間の感情に踊ら荒れているのではないか・・・己の「名声」の為に、「司法」の壁の中に居て、世間の混乱を眺めて楽しんでいる・・・私の観察である。

人口は流動的である。最近は巷の噂にもならない様だが、選挙が近づくと、住民票の移動が増えるニュースは、つい最近までは密かに流れていた。地方の選挙では、この噂が消滅した分けではない。もっとも、それで、結果が大きく変わったとの話も聞かないが・・・しかし、選挙〜地方選挙〜の開票に立ちあった経験から言うと、ある候補に、集中的に現れる「投票用紙」・・・何が違うのか?・・・その一票に書かれた「文字の質」である。特定の政党、際立って目立つ主張をする候補者・・・に、集中的に出現する。幾つかの投票場から集められた投票箱の票を、開票者が真面目に混ぜても、数人の立会人の所に届けられる、数十票の評には、固まって出現する・・・混ぜる時の技術があるのだろう。

その文字の特徴・・・わざと崩しているが如き、文字の不正確さ、あるいは、文字を習い始めた子供にも劣る、幼稚さ、そして、殴り書きの如き汚なさ・・・辛うじて判読できる・・・つまり、判読の限界を知りつくしたかの様なきたない文字・・・あるいは、この文字列は「差別」として批難を受けるかも知れないが、私は、一定の候補に集中することの危うさを指摘しておきたい。

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人口が流動的であることは先に述べた・・・ならば、一票の比重を、常に国民の前に、情報として開示しておくべきではないか。そして、己の一票が軽いと感じ、問題だと思うなら、自分の一票が重く成る様な選挙区に、己の住民票を変更する・・・そんな工夫も可能になる。
選挙の区割りを変更することと、同じ事だろう。少なくとも、国民が、自分の意志で、自分の一票を考えさせる・・・それくらいの効果はあると思うし、尊重しても欲しいと思う。

一票の重さを平等にすることは、「都会」から多くの議員を国会に送ることになる。過疎地は、政治的過疎地になり、あるいは、政治との無縁地域にすらなりかねない。アメリカの上院の様に、各州・2人・・・それが、二年毎に選ばれる・・・これ等、日本流に言えば、違憲の最たるものだろう。

今、憲法改正が話題に上っている。違憲裁判の判決〜違憲〜を喜ぶよりも、定期的な議員配分の調整を国会に義務付ける・・・そして、その作業を議員にやらせるのではなくて、それなりの人材の集団で、常に監視し、調整の実行を行う・・・裁判官も、己の名声を欲して判決を出すのではなく・・・特に、地裁、高裁・・・三権分立の「一権」を握る矜持を大事にして貰いたいものである。


安易に、「違憲判決」を出して、晩酌を楽しむのではなく。国家を盤石に維持する為の「判決」そして、行政・権の運用を助ける様な判決を出す勇気を望みたい。「司法」と「行政」が、融解することは許されないが、対立もまた、国民・・・一部の弁護士グループを除いて・・・が望むものではない。また、立法の抗争を楽しむものでもあってはならないと、私は考える。