国民栄誉賞・・・

長嶋茂雄氏と松井秀喜氏に国民栄誉賞・・・銀座で「号外」を配る姿があった。「号外」を配るほどのものか・・・と、思う。松井秀喜・・・一郎程の成績は残していないのではないか。あるいは、日本プロ野球にどれ程の貢献をしたのか・・・単に、「巨人・大鵬・卵焼き」のノスタルジアに、世の老人どもが浮かれ、子供達は、漫画の英雄像に浮かれているのではないか・・・私などは、読売TVの商業的魂胆が見え隠れしているだけ、恐らく、老い先身近い「渡邊恒夫」への生前受賞に〜叶うはずもない〜に代わるものだろうと、少々深読みしている。

王さんが受賞した時には、納得もし、喜びもした・・・比較的若いアスリートが、その印象が残像として残っている間に、世に表彰される・・・。現役アスリートの励みにもなるだろうし、あるいは、学術、芸術、あるいは、工芸などの、日頃は、我々庶民にはポピュラーでない分野の功労者に光をあててくれることで、、我々愚衆の「教養」への一助にもなるかと思っていたが、今回の二人の受賞には、何の感激も生れない。長島茂雄氏について言えば、現役時代(監督時代を除く)を外しては受賞の対象にはならないのではないか・・・とも考える。松井秀喜氏について言えば、コメントがない。長島茂雄氏の受賞んぉ理由づけに過ぎない・・・歴史の中で、あるいは「恥」にならなければ良いが・・・と、心配するだけである・・・例えば、値しない人物に与えようとするとき、一つの標準として悪用される等・・・もっとも、引退後の彼の貢献については未知である。そのことへの期待としての受賞であれば、それはそれで「おめでとう・・・」と、言って上げたい。

「賞」の意味も、基準も我々には分からい「賞」である。人気に与えられる「賞」であるなら、それはそれで良い・・・目くじらを立てるものではないが、何がしか、その裏で、「政治」が蠢いていることを感じさせられるのは気味が悪い・・・多少の、自民党批判である。寧ろ、アフガニスタンに頑張る「中村哲氏」・・・あるいは、全ての賞を断っているのだと想像するが、彼の活動に寄与する様な「表彰」、彼の活動を国民が全面的に、具体的に助ける機運が生れる様な「表彰」・・・彼が、手にしなくても良い。ジャ−ナリズムがメディアがマスコミが騒がない「賞」もあっても良いのではないか。


得体の知れない俳優やお笑いタレントに贈られる「賞」、例えば、日本版オスカーなど・・・何の意味があるのか。また、地方の新聞の賞は、新聞の小さなコラムで紹介されるが、号外が出ることはない・・・何故なら、その事績を殆ど報道していないのだから・・・何か勘違いが、世間に蔓延しているのではないか。