乾燥した・民主党樽

水汲み、肥え汲み〜便所汲み・・・等々、担い棒の両端にある「桶」は、本質的には「樽」である。小学四年生の頃には、山の畑の細い坂道を上がる時は、前の方の桶の底が、坂道にぶっつかって、時々は「糞」を被ったり、「尿」の時は、ピチャピチャ跳ねて膝から下が濡れる・・・また、跳ねた尿が、坂道を濡らし、足を滑らせる原因になる・・・ひっくり返って、何度、頭から「糞尿」を被ったことか、回虫の研究者・藤田紘一郎先生に倣えば、今日「花粉症」に無縁なのは、このお陰であろう。ウンチ(糞)流れる川で遊ぶ、東南アジアの子供には、花粉症はおろか、アトピーも皆無であると言う。少し話が逸れた・・・

樽、桶・・・暫く使わないと、乾燥して使いものにならない。つまり「たが」が緩むのである。噴水の様に、あるいは散水車の様に、水が抜ければ、目的地に着いた時には、水は半減以下になる。勿論、足下はずぶ濡れになる。糞尿では、悲劇な状況・・・惨事と言うに等しい。

また一人、民主党から「漏れた」・・・「たが」の緩んだ桶(樽)は、「たが」を絞めるだけでは元に服さない。つまり、桶・樽を構成する「板」のひとつひとつの加工を要する・・・つまり、「円」の形・大きさが変わってしまってるのだから、乾燥した「樽(桶)」は、そのままでは復元不可能である。

ならば・・・如何にするか。漏れ続ける桶(樽)に、漏れ続ける水の量を補いながら、桶(樽)を構成する「木材」に水を浸透させ、乾燥前の状況に復させるだけである。

民主党からの離脱・・・離脱したのではなく、メンバーの一人一人が「乾燥状態」にあって、結果として「たが」が緩くなり、心ならずも外れてしまったのである。たとえ、今回の離脱者が、説得を聞いて復したにしても、本人を含む個々人が乾燥しているのであってみれば、水漏れは続くのであり、補給が間に合わない程に漏水していては、樽(桶)は、締らないままに、漏水を続けるだろう。


そこには、覆水盆に復せず・・・の例えが厳然として生きているのである。党内の個々人間で、論争が続いているのであれば、まだ救いがある。何故なら、個々人が乾燥していないと言う事であり、まだ「たが」の力は効いている・・・隣人同士が、仲間同士が争うのは自然であり、その状態がある限り、桶(樽)を構成する木材の感想はない、部分と部分の間に隙間はない。しかし、お互いが無関心を装う様になった時、桶(樽)の寿命は尽きる。「もう終わりだな・・・」と、私の感慨。