石炭の再評価・・・文明は、後ずさりしない・・・!

原発の稼働が容易には再開できない事情から「石炭」の見直しが始まっている。今日の「ひるおび」を視聴しながら、再認識した。そもそも、石炭の衰退が、石油時代の到来だと騒がれ、エネルギー改革として、評価された裏には、余りにも無策な「石炭文明」への対応があったと、私は思う一人である。今、原発廃炉・絶滅の声が叫ばれるが、私は、もしこのまま原発が尻すぼみになると、一世紀後には、今日の石炭再評価の様なことが生じて、こればかりは、「再びの原発」とはならず、エネルギー貧困国に落ち込む可能性が大だろうと思う。

そもそも、文明とは、後づさりさせてはならないものである。交通機関であれ、医学であれ・・・その他諸々の文明全てが、その発祥においては、危険であり、危険な要素を多分に持っていたのである。それを知恵と工夫で手名付けた結果が、今日の文明の姿なのである。卑近な例が、汽車、電車のレール・・・この形になるまで、どれ程の技術開発があり、研究があり、加えて、車輪の科学とのコラボレーションがなされて来たか・・・危ないから止めるとの決断があったら、恐らく、人類は、未だに「歩く」ことしか知らなかったであろう。

福島の原発事故にしても、原発の本体がいきなり爆発を起こしたのではない。電源の喪失に対する準備の不備と対応の拙劣が、惹起したものである。つまり、シミュレーションと訓練の不足が招いた事故であり、そのシミュレーションの過程でなされるべき改善がなおざりにされていたことに、大きな瑕疵があったのである。勿論、今後は、これらの点に焦点が当てられ、新たな原発開発が行われるであろうが、事故に学んだことは大きい。石炭見直しも、その一つであり、新たな原発へ向けての研究も、ゆっくりと時間を掛けて行えば良いのである。


原発事故が、石炭見直しの一助となり、新たな石炭燃焼事術、灰の処理、一酸化炭素の排除と処理の技術への、新たな文明的発展が進展する・・・喜ばしきことである。
日本の炭坑で再開可能な所は少ないだろう。しかし、石炭を多量に埋蔵する原産国にとっては朗報だろう。また、それを運ぶ「船舶」の技術も促進されるし、安全でもある。そして、石油、原発の陰にあって目立たなかったが、地道な研究は進められていた、続けられていたらしい・・・私は、袖ヶ浦で、その一部を拝見させていただいたが・・・世界の先進国の中でも群を抜いているらしい・・・楽しみなことである。