サッチャー逝く

一人、歴史を作った英雄が去った。何しろ歯切れがいい発言が魅力だった。これから、その多くの発言の中から、幾つかが回顧され、紹介されるだろうし、関連の図書の出版も進むだろう。福岡の田舎に居ては、手に入らないものもあろうが、先ずは手近に目に付いたものから、読みたいものだと思う。

何しろ、政治的発言の際に、時に怒りは見せても、哀想笑いの表情を見せない・・・小国には、何人かの女性宰相が存在するが、この人物の様に、固い表情で記者会見に臨み、こちこちの言葉で記者の質問に応じ、自ら発言した政治家は少ない。恐らく、日本の政治家が真似したら、「舌禍」として、宰相の座位に、三日と座ることは不可能であろう。我々は、宰相とは、引きずりおろすものだと言うethosに馴れきっていて、人気投票はしても、その発言を、自らの糧として考えることはしない。意味のない党是を掲げ、意味のない発言を随所に発する政治家が多く、相手の存在に感謝しながら、それに反論し、討論を重ねるに値する存在を、お互いに持ち得ない不幸な政治風土に、我々は生きているのだと、私は思う。

その一つが、老若を問わず、懇談の場で、親交の場で、アルコール中毒で死亡する、若者、老人、時には、中年のnewsが絶えない。その様な場で接するalcoholは、舌を滑らかにする為に、自らを多少興奮させる為に嗜むものの筈であるが、そこで、無暗に、多量に飲める勇気を誇示し、認めてもらうことを「人間に大きさ」と勘違いする向きが多い。グラスに、「いっき飲みを止めよう・・・」等と、書いて置かなければ、懇親の場の安全が保てない・・・まず、mono collarの集団で行動しなければ、隣にも行けない、集団主義の大衆なのである。

時に、サッチャーの様な人物の発言は、耳に心地よい。しかし、それが、自分に向って発せられると、耳を塞ぐか、やたらに、言葉にならない怒号で批難するか、あるいは、最も卑怯に沈黙を通す(あるいは、意味のない教条的な、stereotypeな反論を繰り返す)左翼的政治家、思想家は多い・・・そんな意味からは、日本人には人気のない政治家ではあるだろう。今朝も、サッチャー死す・・・のnewsの中で紹介された幾つかの発言に、快感を感じ、今日、未だに衰えを見せない、その内容に感銘を受ける・・・そして、その発言に、他人の足を引っ張らない、引っ張らせない強さを感じる自分がいる。まだ、俺も大丈夫だな・・・と、元気を貰った。